あなたの隣に春はある
 メェークルの朝は早い。
 ヤヤコマの囀りを目覚まし代わりに起床。あくびをしたら、ベッドとして使っているクッションをふみふみして形を整える。これは習性ではなく、親であるが起きたあとにベッドを整えているのを見て、メェークルも真似するようになったのだ。満足いくまでふみふみしたら、今度はまだ寝ているを起こす番。曰く、アラームよりもメェークルの鳴き声で起きた方が寝覚めが良いらしい。そのため目覚まし時計は目覚ましの役目をメェークルへと譲り、存在意義の半分を失ってしまった。
 は頭までブランケットを被って寝ている。メェークルはベッドのそばまで寄ると、まずは様子見に小さく鳴いた。けれどは動きもしない。次はもう少し大きめに。それでも起きてくれないから、メェークルはベッドに前足をかけ、ブランケットを口にくわえて引き剥がした。
 さあ、どうだ!
 メェークルが得意げに鼻を鳴らしながら見ると、は口に手を当ててくすくす笑っていた。どうやら、起きていたのにわざと寝たふりをしていたみたい。
 もう、ったら。
 メェークルが抗議するように鳴くと、は「ごめんね」と言いながら起き上がる。

「一生懸命起こそうとしてくれるメェークル、可愛いんだもん」

 ベッドから伸びるあたたかい手。メェークルは自然と鼻先を寄せた。
 しょうがないなあ。なでなでしてくれるなら許してあげる。
 程よい力加減で鼻筋を撫でる手のひらにうっとりと瞼を閉じるメェークルを、が抱きしめた。

「おはよう、メェークル」

 おはよう、
 メェークルはツノが当たらないように気をつけながらの頬に擦り寄る。こうやって挨拶とともにぎゅっと抱きしめてもらうのが、メェークルの毎朝のルーティンだ。

「さて、朝ごはんの用意をしないとね」

 はそう言ってメェークルから離れると、カーテンを開けて日差しの眩しさに目を細める。今日はとても良い天気のようだ。が伸びをするのにつられて、メェークルも後ろ足をぐぐっと伸ばす。
 顔を洗い、服を着替えたがリビングへ向かうのに着いて行き、メェークルはソファに座った。キッチンには入っちゃダメという決まりだから、ごはんが出てくるまでお行儀よく待つのだ。包丁が野菜を切る音が聞こえるたび、メェークルの耳がぴくりと動く。
 もしかして、今日の朝ごはんは……。
 想像するとメェークルのお腹がきゅるると鳴った。

「あはは、可愛い音。待たせちゃってごめんね」

 が持って来てくれたお皿にはサンドイッチが乗っていた。メェークルの好きな、レタスとトマトスライスとピーマンスライスのサンドイッチ! どこかの地方ではポケモンとピクニックに行き、サンドイッチを作るのが流行っているらしい。そんな噂を聞いたは「面白そう!」と言って、以前メェークルをピクニックに連れて行ってくれた。その時に作ってくれたのがこのサンドイッチだった。そうしょくのメェークルが好みそうな具材をが選んでくれたのが嬉しくて、それからというもの好物になったのだ。
 メェークルは大喜びで、ひとくちサイズに切られたサンドイッチにかぶりついた。シャキシャキの瑞々しい野菜と、ソルトを混ぜたオリーブオイルの風味がたまらない。夢中で食べるメェークルのそばにモーモーミルクの入った器が置かれる。「喉に詰まらせないようにね」と笑うもサンドイッチの乗ったお皿を持っていた。メェークルと同じ具材にハーブソーセージを追加したものだ。
 食べ終えたメェークルが口の周りを舐めながらを見上げると、ばっちり目が合った。

「ふふ、おいしかった? ま、具材切って乗せただけなんだけどさ」

 おいしかったよ。
 メェークルはの手の甲に額を押し付ける。たしかにサンドイッチは調理の腕前があまり関係しない料理だけれど、と一緒に食べたからおいしかったのだ。メェークルはそう思う。
 はメェークルの頭をよしよしと撫でつつニュースを観ていたが、サンドイッチの最後のひと切れを口に放り込むとぬるくなった紅茶で流し込んだ。

「ごちそうさまー。洗い物済ませたらお花の水やりしなきゃ。今日も手伝ってくれる?」

 もちろん、と元気よく返事をしたメェークルに、は嬉しそうに頷いた。
 料理も洗い物も難しいけれど、お片付けなら。空っぽになったお皿をくわえて差し出せば、は「メェークルはえらいねぇ」と言って受け取ってくれた。
 の鼻歌と時折流れる水の音を聞きながら、メェークルは洗い物が終わるのを待つ。日常生活の中でにはやるべきことがたくさんあって、メェークルはそれが終わるまで待たなければいけない場面が多々ある。もしも人間みたいに二足歩行で、器用に動く指があったなら、今よりもをたくさんお手伝いできたのかな。がいつも綺麗に整えてくれている蹄を見つめて、メェークルはそんなことを思った。


◇◇◇


 メェークルにとってお庭は、家の中でも一、二を争うくらいに好きな場所だ。ガーデニング好きのが四季折々の花を育てていて、いつだって緑に溢れているからメェークルにとってとても居心地が良いのだ。

「あっ、チューリップ咲いてる!」

 の嬉しそうな声に、メェークルもその視線の先を追う。昨日まで蕾だったチューリップは、ピンクに赤を一滴混ぜたような色の花弁を綻ばせていた。風が吹くと重たげにゆらゆら揺れて愛らしい。
 花壇の前にしゃがみ込んだが小さなじょうろで草花に水をやっている。メェークルはバケツの持ち手をくわえての後ろをついていく係だ。花弁に水がかかるとそこから腐ってしまうこともあるらしく、は指で避けながら土に水を撒く。丁寧な手つきはメェークルのトリミングや削蹄をしてくれている時と同じだ。
 湿った土と草の匂い、それからチューリップの甘い香り。メェークルはと土いじりをする時間も好きだ。特に今日は日差しがぽかぽかとあたたかく、くさタイプのメェークルとしては最高の天気。器用に口で雑草を引っこ抜いたり、前足でふみふみして土を耕したり、肥料の袋を背中に乗せてのもとまで運んだり。家の中よりもお手伝いできることが多くて、メェークルは張り切るのだ。
 が満足するまで手入れをしたあと、部屋に戻ってふたりは一息ついていた。おいしいみずを飲みながら窓際に座っていたメェークルは、ハネッコが空を飛んでいくのを見つけ、遊びに行きたいなとぼんやり思った。近くの公園でボール遊びをしたり、を背中に乗せて駆け回りたい。きっと楽しいんだろうな。

「メェークル」

 朝食の時にいれた紅茶の残りを飲んでいたが、ふとメェークルを呼ぶ。

「お散歩がてら公園に行こうか。せっかくいい天気なんだから、外に出ないともったいないよね」

 やったあ!
 メェークルは思わず立ち上がり、嬉しさのあまりぴょんぴょんと飛び跳ねた。はいつだってメェークルの考えを読み取ったみたいに当てる。もしも人間にもポケモンと同じようにタイプがあったなら、はエスパータイプかもしれない。でもどうせなら同じくさタイプがいいなあ。……なんておかしなことを考えているうちに、は支度を終えたらしい。玄関から呼ぶ声が聞こえてきた。

「メェークル、どうしたのー?」

 我に返ったメェークルが、わたわたと廊下を駆けていく。
 お待たせ、行こう。
 日差し対策でカノチェを被ったが、にこりと笑ってメェークルの頭を撫でた。ドアを開ければ心地いい風が吹き抜けていく。メェークルはお散歩が大好きだ。町を歩けばいろんな人が声をかけてくれるし、顔見知りのトレーナーたちが連れているニャスパーやトリミアンが元気だと安心するから。

「あ、さん」

「あら、こんにちは」

 頭上を通り過ぎていくヤンヤンマに目を奪われていたメェークルは、が誰かに呼び止められたことに気がついて振り向いた。
 と立ち話をしているのは人の良さそうな青年。モスグリーンのエプロンを着けた、花屋の店員さんだ。イッシュ地方から移住してきたのだという彼はポケモントレーナーでもあり、そばにはいつもパートナーのドレディアがいる。
 この花屋は花だけでなく園芸用品も揃っているから、は何かと立ち寄る機会も多いし、メェークルもよく一緒に来る。マーガレット、カーネーション、ラナンキュラス……。店先に出された春の花たちは良く手入れされていて、どれも可憐に咲き誇っている。メェークルはフリルのような花弁を持つ薄桃のスイートピーに鼻を近づけ、香りを嗅ぐ。爽やかな良い匂い。

「この間購入していただいた肥料、いかがですか?」

「おかげさまで今朝、チューリップの花が綺麗に咲きましたよ。買って正解でした」

「それはよかった」

 当たり前だけれど、はメェークルと話している時と店員さんと話している時で見せる顔が違う。メェークルが力になれないこともきっと人間なら協力できるし、相談にも乗れるから。それを羨ましいと思わないと言ったら嘘になる。だけどメェークルはいじけたりせず、おとなしく待つのだ。これもの“やらなければいけないこと”のひとつだから。
 花にいたずらすることもなく、走り回ることもせずじっと待つメェークルに、店員さんはにこりと微笑んだ。

さんのメェークルはお利口ですね」

「ふふ。いつも花のお世話を手伝ってくれる、優しい子なんです。ねっ、メェークル」

 そう言ってはメェークルの背中を撫でた。自分のポケモンが褒められて心底嬉しいのだろう、はへにゃりとした笑顔を浮かべている。もっとたくさんお手伝いができたらいいのにと思っていたけれど、は今の頑張っているメェークルのことももちろん認めてくれているのだ。
 メェークルも嬉しくて、メェ! と元気に鳴いた。それを店員さんとドレディアが微笑ましそうに見つめている。

「お散歩の途中で引き留めてしまって、すみません。お得意様を見かけるとつい……」

「いえ、お気になさらず。ドレディアちゃんにも会えて嬉しかったですし」

 がドレディアの花飾りを撫でると、彼女はぴょんと跳ねて喜んだ。ドレディアの花はトレーナーがいくら手塩にかけても野生には及ばないと言われているが、それでも負けず劣らず美しいのは店員さんの愛情の賜物だろう。
 店員さんとドレディアに手を振り、とメェークルは花屋をあとにした。

「お利口だって! 褒められちゃったね」

 隣を歩くメェークルの首の後ろを、の手がわしゃわしゃと撫でる。いつもより少し大雑把なその撫で方は、乱暴なのではなく喜びを隠しきれない様子だ。メェークルは歩きながら、の身体にぴったりと己の身を寄せる。それからの横腹あたりにすりすりと頭を擦りつけた。甘えているのだ。

「もー、歩きにくいじゃない」

 文句を言いながらも、はころころ笑ってメェークルを撫でる手を止めない。道行く人々が優しい眼差しでふたりを見ていた。


◇◇◇


 まだ昼を迎えていない公園にはちらほらとお年寄りや子どもの姿があるものの、ひと気はそれほど無い。のびのび遊ぶには好都合だ。
 モンスターボールを模したゴム製のボールが、綺麗な弧を描いて跳んでいく。普段からモンスターボールを扱うおかげか、のコントロールはなかなかのもの。やがてボールは地に落ち、軽い音を立てながら弾んでさらに遠くへ行こうとする。それを捕まえようと、メェークルは懸命に駆けていった。その後ろ姿を見守るも楽しそうだ。
 弾むのをやめたボールが力なく転がっていく途中でやっと追いついた。ボールをくわえて戻ってきたメェークルはきらきら輝く瞳でを見上げる。もう一回投げて、と視線が訴えている。その期待に応え、が今度は別の方向にボールを投げた。メェークルの蹄が力強く地面を蹴って、少しの土埃を上げる。

 メェークルがまだ生まれたばかりの頃から、この公園には遊びに来ている。中でもメェークルはボール遊びが大好きで、ボールを投げる役のが先に疲れてしまうくらい夢中になるのだ。今日もかれこれ公園に着いてから小一時間はボールで遊んでいるので、はメェークルが戻ってくるまで肩をぐるぐる回している。そろそろ休憩するべきだ。
 にこにこしながらボールを持って戻ってきたメェークルの頭を撫で、は視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「ねえ、喉渇いてない? 休憩しようか」

 メェークルは一瞬きょとんとして、それからボール遊びに集中しすぎて喉が渇いていることを自覚した。
 ってやっぱり、エスパータイプだ!
 おかしな空想だったのに、があまりにもメェークルのことを理解しているから確信を深めてしまった。ふたりは木陰の方に移動するとが持参した花柄のレジャーシートを敷いて、その上に腰を下ろす。

「おいしいみず、持ってきたんだ」

 はカバンから取り出した器においしいみずを注いでくれた。透明な水面が木漏れ日を受けて照り輝いている。冷蔵庫から取り出して時間が経っているので冷たさは失われつつあるのに、喉がカラカラなせいかメェークルにはいつもと同じくらいおいしく感じた。も自分用のペットボトルでおいしいみずを飲んでいる。

「休憩が終わったら、次は何して遊ぼうか?」

 濡れた口の周りをぺろりと舐めながら、メェークルは顔を上げた。ポケじゃらしもあるしボール遊びの続きをしてもいい。でも、こうしてのんびり過ごすのも悪くないかもしれない。程よい疲れに身体を包まれたメェークルは、穏やかな風とやわらかな日差しも相まってなんだか瞼が重くなってきていた。成長したとはいえまだまだ子どもなので、全力で遊んだあとは電池が切れるように眠くなってしまう。
 メェークルはのそばまで来ると、太ももあたりに顎を乗せてぱたりと横になった。

「あらら、眠たくなっちゃった?」

 首元の葉をの指先が梳いていく。メェークルが撫でられて一番嬉しい場所だ。余計に瞼がとろとろと重くなって、もう睡魔に逆らえない。
 メェークルはまだまだ遊びたいし、眠ってしまったら時間がもったいないとも思う。でも。

「時間はたっぷりあるし、遊び足りなかったらまた来ればいいもの」

 そう。そうだよね。明日も明後日もその先も、とずっと一緒にいるんだもん。焦らなくたっていいよね。
 メェークルは小さな声で鳴くと、目を閉じた。夢の中にもきっとが出てきてくれるのだ。寝ても覚めても大好きな人に会えるだなんて、とっても幸せなことだとメェークルは思う。
 お昼寝して元気になったら、日が暮れるまでめいっぱいと遊ぼう。きっとはへとへとになってしまうけれど、そしたら背中に乗せて家に帰るの。また明日も遊ぼうねって約束して、それから……。
 ぽかぽかな太陽の光と、あたたかなの手のひらに意識が溶かされていく。心地良さそうなメェークルを見つめるは、とても優しい顔をしていた。
 おやすみなさい。眠りに落ちる間際、聞こえた声にメェークルは小さなしっぽを振って応えた。


あなたの隣に春はある
20230828