不貞腐れて眠りながら、モンメンはと出会った日のことを夢に見ていた。
あの日は——昼までは空に雲ひとつ無く晴れていたのに、夕方になってから急に天気が崩れ始めたのだ。モンメンは仲間たちとくっついて日向ぼっこをしていたが、雨が降り始めるなり仲間たちは蜘蛛の子を散らしたように去って行った。うとうとしていたモンメンをひとり残して。
綿でできた身体は濡れると重くなって、身動きが取りにくくなる。そうなれば必然的に野生のポケモンから狙われる可能性も高くなってしまう。大木の根元で縮こまり、不安な気持ちでいたモンメンの前に現れたのがだった。なにかを探している様子のはモンメンに気がつくと、当てが外れた顔をして一度立ち去ろうとしたが、しばし逡巡したのちに彼のところへ向かってきた。モンメンだって平均的な野生のポケモンと同程度には人間に対する警戒心を持ち合わせている。けれどがあまりにも途方に暮れた顔だったものだから、この人間は悪意を持っていないとモンメンの勘が告げたのだ。事実、はモンメンをふかふかのタオルに包んで家まで連れ帰ると、お風呂にご飯に寝床にと世話をしてくれた。今では良い思い出だ。
モンメンはあれから何度もの家を訪れて……最初は“おやつをくれる都合の良い存在”と思っていたのは確かだ。それなのにいつしか、目当てがおやつではなくへと変わっていった。……もちろんおやつもおいしくいただくけれど。
なんだか、懐かしい夢だったなあ。
モンメンが目を覚ますと、窓から差し込む日差しは橙色を帯びていた。少し不貞寝するつもりがそこそこ長い間眠っていたらしい。モンメンはまだ眠たい頭であたりを見回す。の妹もヒメンカも帰ってしまったようでその姿は見えない。しかしキッチンから水の音や食器をいじる音が聞こえてくる。きっとが皿洗いをしているのだろう。モンメンはふわりと浮かんで、キッチンの方へと飛んでいった。
「おはよう、お寝坊さん」
予想通り皿洗いをしていたは、ちょこんと寝癖がついたモンメンの姿を見てくすりと笑う。最後のひとつだったティーカップについた泡を濯いで洗い物を終えると、はリビングの方へ移動した。テレビをつけ、ソファに腰掛けたの膝の上にモンメンが乗っかる。
「どうしたの?」
お気に入りのクッションではなく膝の上に陣取ったモンメンをの手のひらが撫でた。水仕事をして少しふやけた皮膚が、いつもより綿に引っかかる。モンメンは心地よさそうに目を細めた。やっぱりに触れられると心が安らぐ。
「……そういえば。あなたがお昼寝してる間に、妹から気になることを聞いたの」
ふと、が思い出したように話し出す。モンメンはテレビを観るのを止めての方へと振り向いた。
「モンメンって、たいようのいしでエルフーンに進化するんでしょう?」
はテーブルの上に伏せて置かれていたスマホを手に取る。“エルフーン”の名前で検索すれば、どこかのトレーナーや写真家がソーシャルメディアに投稿したエルフーンの画像がずらりと表示された。中でもトレーナーの手持ちらしき個体はアクセサリーをつけていたり、服を着ていたりとそれぞれ可愛がられているのがよく分かる。しかし頭のもこもこな綿と、変わらないオレンジの瞳、それからモンメンの時には無かった手足があるのは皆一様に同じだ。
——これだ! モンメンの目の中で星が輝いた。
「余計なお世話かもしれないけど、あなたは進化したかったりするの?」
スマホの画面からモンメンへと視線を向けたが、小さく首を傾げてたずねる。モンメンはこくこくと必死で頷いた。エルフーンになれば、を抱きしめることができる。まさかこんなに早く願いが叶うとは、いつも良い子にしているご褒美だろうか——なんて調子のいいことまでモンメンは考えていた。
そんなことを知らないは、存外乗り気なモンメンに少々驚いたものの優しく微笑んだ。
「進化したいのね。……それじゃあ、たいようのいしがどこで手に入るのか、妹に聞いてみないと」
は当たり前のようにモンメンが進化するのを手助けしようとしてくれる。スマホでメッセージアプリを立ち上げると、はたいようのいしの入手経路を教えてほしいという旨を送った。程なくして返ってきたメッセージには「お店で売ってないから通販で買うか、ワイルドエリアとかで拾うか。どっちかだよ」と書かれている。ポケモンを持っていないがワイルドエリアに立ち入るのは危険だ。となれば必然的に前者しか選択肢が無くなる。数分ほど置いて妹から送られて来た通販サイトのURLをが開くと、そこには昼間見せてもらったのと同じ色形をした石の写真が載っていた。ふむふむとページを見ていけば、表示された値段は。
「一万円……」
ぽんと買うには値が張る。
は親元を離れてひとり暮らしだし、大学を卒業して社会人になってからそれほど長くない。月の収入を考えると一万円の出費は大きい。
むむ、と渋い顔でが唸り出した頃、睨めっこしていたスマホの画面が着信を知らせる。鳴り響く着信音には驚いて、危うくスマホをモンメンの上に取り落としそうになった。冷や汗をかきながら画面を見ると、表示されている名前は妹のものだった。
「も、もしもし?」
「お姉ちゃん! たいようのいし、もうポチっちゃった!?」
「いや、まだだけど……。どうかした?」
「あのねっ、カバンの中見てみたら一個余ってたんだ。たいようのいし!」
興奮気味の妹は「善は急げって言うし明日渡しに行くよ! 何時なら居る?」と畳み掛けるように尋ねてきた。
「明日は仕事だから……なにも無ければ十九時過ぎには家に着いてると思うけど」
「分かった! じゃあそのくらいに行くね」
それから二言三言の会話を交わし、通話は終わった。スマホを耳から離すの周りをモンメンがふよふよと漂っている。なにかあったのかと心配しているのだろうか。
「妹がね、余ってるたいようのいしを譲ってくれるって」
「これで進化できるね」と話すに、モンメンは大喜びした。羽根を広げた姿がまるで万歳をしているみたいで、その可愛らしさにの口元もやわらかく緩む。
道具の使用が進化条件のポケモンは、野生だとなかなか進化できないだろうから、モンメンも念願が叶うとはしゃいでいるのだろう。そう考えるはまだ知らない。モンメンは進化できるからではなく、を抱きしめられるようになるから喜んでいるだなんて。
◇◇◇
翌日。仕事で大きなトラブルが起こることもなく、定時退社したは腕時計を見遣り、駅へと向かった。電車が大きく遅れなければ十九時に間に合うはずだ。吊革に捕まって窓の外を眺めながら、はそわそわした気分になっていた。進化するのは私じゃなくてモンメンなのに、おかしいな。モンメンの昨夜の喜び様が思い出されて、はにやけてしまった。結局モンメンはそのまま泊まっていって、朝が仕事に行く前に「いったん帰る?」と聞いても首を横に振った。帰るのが面倒なのかなと思ったは、留守の間にモンメンがお腹を空かせてしまわないようにポケモンフーズやおやつを用意してから家を出たのだった。
電車を降りて最寄り駅を出ると、ちょうどの家へと向かおうとしていた妹と偶然鉢合わせ、そのまま肩を並べて家路についた。道中、今日ヒメンカがワタシラガに進化したという報告を受けて、も自分ごとのように祝福した。ボールから出して見せてくれたワタシラガは、ヒメンカだった頃と随分姿が変わっていては驚いたけれど、を見るなり抱きつく癖は変わりない。にこにこと笑いかけてくる顔にヒメンカの面影を見出し、ああやっぱり姿形は変わっても、変わらないものがあるのだなとは安堵した。
——安堵? はふと気づく。安堵というのは、心配事が無い状態からは生じない。不安を取り除かれて安心した時の精神状態を表すもの。では、は何に不安を感じていたのだろう。
ワタシラガを抱っこしながら考え込むに、妹は首を傾げていた。そうこうしているうちにのアパートに辿り着く。鍵を開ければ、帰宅を察知したモンメンが玄関までお迎えに来てくれた。
「ただいま、モンメン。いい子にしてた?」
モンメンはその言葉に応えるように身体を揺すった。の腕から抜け出したワタシラガが、モンメンの周りをくるりと回る。一瞬、警戒したような表情になったモンメンだったが、昨日会ったヒメンカが進化したと直感的に理解したらしい。二匹は仲睦まじく一緒にリビングの方へ飛んで行った。
「あれ、なんか仲良しになってる?」
「わたかざりポケモンとわたたまポケモンだし……綿仲間だから親近感が湧いたのかな」
昨日はあまりコミュニケーションを取っていなかったように見えたのに。と妹は顔を見合わせて笑った。
夜ご飯は妹が「昨日今日とお邪魔してるしご馳走させて」と言うので、さっそくモンメンの進化を済ませることとなった。は妹から渡されたたいようのいしを見下ろす。実物は写真で見るより赤々としていて、空に浮かぶ太陽をそのまま石に閉じ込めたようだ。
本当にこれでモンメンが進化するのだろうか。は手にした石を、膝の上でお行儀良く待つモンメンへと近づけた。
モンメンが目を細めて、嬉しそうに鳴く。すると、どこからともなく綻ぶように光が溢れた。初めてポケモンの進化を目の当たりにするは、面食らって不安げに妹の方を見た。けれどこういうものらしい。妹が黙って頷いたので、もモンメンに向き直った。
小さな身体が光に飲み込まれ、形を変える。あまりの眩さには思わず瞼を閉じた。目を瞑っていても光の瞬きが分かる。モンメンはもうエルフーンに姿を変えたのだろうか。それともまだ途中か。はどきどきしながら、ちらりと片目を開けた。その時ちょうど光がぱちんと弾けて、現れたのは——エルフーンだ。
「わ……」
はちゃんと両目を開けて、エルフーンと見つめ合う。本当にたいようのいしで進化して、姿が変わったんだ。ぼんやりと眺めることしかできないをよそに、エルフーンは元気よく鳴きながら飛び上がった。
「モン……じゃない、エルフーン!」
エルフーンは頭の大きな綿のおかげか、ふわふわと軽やかにの膝へ降りて来た。モンメンだった時と違って口が見えるから、表情がさらによく分かる。にっこりと口角を上げて笑うエルフーンは戸惑うの腕の中へ飛び込んだ。
「どうしたの?」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、は訳も分からず狼狽える。けれどエルフーンが離れる気配は無い。
まるで甘えてきているみたい。はおずおずと腕を回し、エルフーンを抱きしめ返した。胸の中でエルフーンの嬉しそうな声が聞こえる。
「わーラブラブだ! おめでとー!」
ワタシラガを抱っこした妹がふたりに駆け寄り、お祝いの言葉をかける。そこでようやくエルフーンはから離れたが、今度は袖を引っ張って何かをせがんできた。見れば、もう片方の手で妹を指している。理解できずにが困っていると妹が助け舟を出してくれた。
「今のワタシラガみたいに、エルフーンもお姉ちゃんに抱っこして欲しいんじゃない?」
正解! と言うようにエルフーンは機嫌良く鳴いた。ねだるように擦り寄られ、は優しく笑いながらエルフーンを抱き上げる。
ただ抱っこしただけなのに、エルフーンは本当に嬉しそうにするのだ。少し不思議に思いつつ、はエルフーンと目線を合わせた。
「進化おめでとう、エルフーン」
最初に出会った時と変わらない、が大好きなソクノのみのジャムと似た、きらきら輝くエルフーンの瞳。綺麗だなと思いながら覗き込んでいたは、エルフーンに突然首に抱きつかれて背中からソファへ倒れた。
——、ありがとう。だいすき、だいすき!
おとなしく頬擦りをされているとそんな言葉が聞こえた気がして、はぴたりと動きを止めた。けれどエルフーンが、というよりポケモンが人語を話すなど、はおとぎ話やフォークロアでしか聞いたことがない。だからきっとの勘違いや空耳なのだ。そう思うのに、なぜだかエルフーンの言葉であると確信めいたものを感じてしまう。
「……うん。私も、エルフーンが大好き」
が小さく呟いた言葉はエルフーンの耳にちゃんと届いたのだろう。感極まったエルフーンが腕に力を込めるものだから、妹が「締まってる締まってる!」と慌てて引き剥がした。物足りなさそうに手足をばたつかせて抗議するエルフーンを見て、は久々に大きな声で笑ってしまった。なんて愛おしいのだろう。
そうしては、先ほど感じた不安の正体に気がついた。モンメンが姿を変えたら同時に他のなにかが変わってしまう気がして——具体的になにとは言えないが——漠然と恐ろしい心地だった。それは思い過ごしであったと、ワタシラガの笑顔を見た時にも分かったけれど、改めてはっきり理解した。
確かに姿は大きく変わった。と会うたびに振ってくれた羽根はもう無い。その代わりに抱きしめてくれる腕がある。そして、に向けてくれる笑顔や、夕日のきらめきを宿した瞳は変わらない。考えてみれば不安がるなんておかしな話だ。だって、見た目が変わっただけで中身はモンメンの頃から変化していないのだから。
笑いすぎて目尻に滲む涙を拭い、はエルフーンの頭を撫でる。そして、これまで言いたくても遠慮して言えずにいた言葉を唇に乗せるのだった。
「あのね。エルフーンさえよければ、だけど」
私のパートナーになってくれないかな。
そこまで言い終えるや否や、またもエルフーンがに飛びついたのは言うまでもない。
あのね、だいすき
20230717