午睡を誘う、穏やかな休日の昼下がり。
私は自室で机に向かい、雑誌のページをめくっていた。ふと、窓際で日向ぼっこ兼お昼寝をしていたキュワワーが目を覚ましたらしく、小さなあくびの声が聞こえてくる。そちらを向くと、まだ寝ぼけているのか、少しだけふらつきながらソファを目指してゆっくり飛んでいるのが見えた。するとふんわりと良い香りが鼻腔を満たして、思わず口元が緩む。上質なアロマオイルに勝るとも劣らないほどの香り。
「キュワワーって、本当にいい香りがする」
すん、と鼻を鳴らす私を見て、キュワワーはこちらを向いて首を傾げる。その小さな両手に握られた茎は輪っかになっていて、そこには色とりどりの花が付いている。遠くから見るとまるで花冠が浮いているかのような、メルヘンな姿だ。その可愛らしさに一目惚れしてゲットしたのをよく覚えている。
キュワワーはこちらへ飛んできて、私の膝の上に降り立った。花の香りがさらに濃くなる。キュワワーの茎に付いた花は活性化し、芳しい香りを放つのだという。私はうっとりと目を細めながら、まだクエスチョンマークを浮かべているキュワワーの小さな頭を指先で撫でた。
「あなたのお花、素敵だね。キュワワー」
自分を飾る花を褒められていることに気づいたキュワワーは、嬉しそうに笑って私の手に体を押し付ける。もっと撫でての合図だ。お望み通りたくさん撫でてあげればキュワワーは再び身体を浮かせ、上機嫌にくるりと一回転までしてくれた。私もつられて笑顔になる。
するとキュワワーは私の読んでいた雑誌に気がついたのか、横に来てじっと覗き込んだ。
「気になる? アローラの花園特集だって」
カラーページに掲載された写真たちは、どれもアローラの各島にある花園を写したものだ。一年を通して温暖な気候のアローラには多種多様な植物が分布しており、その中でも色鮮やかな花々は美しく、それ目当ての観光客もいるほど。最近ではフォトスポットとしても人気が高いとか。——これらは丸ごと雑誌の請け売りだけれど、納得しかない。たとえばメレメレの花園。風で黄の花びらが舞う花園、楽しそうに踊るオドリドリ、それからバタフリーやアブリーなどのむしポケモンも散見される。ほかにはロイヤルアベニュー前にある愛くるしい桃色の花壇、ウラウラ島の燃えるような赤の花畑、ポニ島の艶やかな藤色の花園。どれも写真を眺めているだけでうっとりしてしまう。
やっぱり花に心惹かれるのだろうか。キュワワーはそれぞれの写真を興味深そうにじっくり眺めている。いつになく真剣な表情を可愛いなと思いながら眺めていたら、キュワワーが突然鳴き声を上げた。
「ん?」
キュワワーはメレメレの花園の写真をぺちぺちと叩き、それから私の方を見る。ポケモンの言葉は分からないけれど、伝えたいことはなんとなく伝わった。
「ここに行きたいの?」
正解だったようだ。キュワワーはこくこく頷いた。
メレメレの花園なら割と近場だし、行こうと思えばライドギアでリザードンを呼び出せばすぐに行ける。もっとも、今日これからというわけにはいかないが。次の休みだったら花園でキュワワーの遊ぶ時間も十分に確保できるだろう。
「じゃあ、次の休みに行ってみようか」
おやつも持って行って、たくさん遊ぼうね。
そう言うとキュワワーは元気よく返事をして、うきうきと身体を揺らした。私も今から楽しみだ。
その日はメレメレの花園について記載されたページに付箋を貼り、雑誌を閉じた。
◇◇◇
見慣れた赤い屋根の建物。2番道路のポケモンセンター、それが目的地のシンボルだ。リザードンは緩やかに速度を落とし、背中に乗った私になるべく衝撃を与えないよう着地してくれた。きっと気質の優しい子なのだろう。
「お疲れさま。ありがとうね」
ヘルメットを外し、リザードンにお礼を言う。リザードンは口角を少しだけ上げると、また大きな翼を広げて空へ飛び立った。しばらく見送ったあと、私はバッグの中に手を突っ込んでモンスターボールを取り出す。
「キュワワー、出ておいで」
モンスターボールを宙に向かってぽんと放ると、光と共にキュワワーが姿を現す。キュワワーは私を見るなり肩の上へ乗ってきた。なんだか一段と甘えん坊だ。ほっぺたを指でつんとつつくと、無邪気な笑い声が聞こえてきた。
「ここから少し歩いたところなんだって。そんなに遠くないからすぐ着くと思う」
反対の手でポケットからスマホを取り出し、地図アプリを立ち上げる。経路は数日前から調べ、何度かシミュレーションした。ここから東に進むと3番道路に入るので、そのまま道なりにまっすぐ行けばいい。花園の前にはご丁寧にも看板が立っているらしいので、迷うこともなさそうだ。
キュワワーは私と一緒になって地図を覗き込むと道順を理解したのか、べったりしていたのが一転、すいすいと先を行ってしまった。
「あっ、もう。待ってよー」
スニーカーを履いてきて正解だった。3番道路はごつごつした岩場だし、キュワワーと追いかけっこするにはヒールだと危険だから。私はスマホをカバンにしまって、キュワワーのあとを追いかけた。
空を飛んでいるひこうタイプの野生ポケモンに見つからないよう、地面を横切る影を避けつつこそこそと進む。しばらくすると少し前を行くキュワワーが看板を見つけて、あったよと言いたげに小さな手で指し示してくれた。確かにそこには「この先 メレメレの花園 オドリドリが舞う 楽園」とある。顔を見合わせ、私たちは先へ進んだ。
「わあ……」
思わず感嘆の声が出た。
写真よりもさらに美しい。一面に広がる、陽だまり色の花畑。時折風が吹くと花弁が舞い上がって幻想的だ。あたりを見回せば色々なポケモンが目に入った。ぱちぱちスタイルのオドリドリはチアダンスにも似た踊りを踊っている。フラべべとアブリーは鬼ごっこをしていて、それを尻目に悠々と羽ばたくバタフリー。楽園の名は伊達ではない。
キュワワーも豊かな自然に囲まれて嬉しいのか、花の海へ飛び込んだ。花びらまみれになって楽しそうに笑っている。その様子に、ああ連れてきて良かったと心の底から思った。普段、日中は仕事があるし帰ってきてもそれほど構ってあげられていないし、休日は遊ぶ時間を長く取るけれど遠出したのは久々だ。モンスターボールの中はポケモンにとって快適な環境らしいけれど、そうは言ってもずっと籠りっきりだとつまらないんじゃないかな、と考えたのは正解だったみたい。
「キュワワー、良かったね」
キュワワーの小さな頭についた花びらを取ってあげると、彼女ははにかんでくれた。
さあ、なにをして遊ぼうか。ポケじゃらしに、キュワワーが好きな鈴の入ったボールなんかも持ってきた。せっかく広い場所に来たんだから、思いっきり身体を動かして遊ぶのもいいかもしれない。どれで遊ぶ? と聞こうとした時——キュワワーが例の、鬼ごっこをするアブリーとフラべべを目で追っていることに気がついた。もしかして混ざりたいのかな。
「行っておいで。あの子たちに、仲間に入れて? って言ってみてごらん」
私がそう言うとキュワワーは一瞬躊躇ったのちにおずおずと頷いて、二匹のもとへ近づいていく。人間には分からないポケモンの言葉で会話しているのであろう後ろ姿を見つめながら、私は小さく拳を握った。頑張れ、キュワワー。少し人見知りなところのある子だから、自分からアクションを起こそうとしていると背中を押したくなってしまう。
アブリーとフラべべは快く受け入れてくれたようで、三匹はおしゃべりをした後に鬼ごっこをはじめた。どうやらアブリーが鬼役のようだ。きゃっきゃっとはしゃぐ様子を見ていると、心が和む。
さて、私はどうしようかな。花畑にそっと腰を下ろしてカバンの中を探っていると、つい癖でスマホを手に取ってしまった。動画でも見て時間を潰すか——と思ったけれど、せっかく自然のあふれるところに来たのだから、スマホをいじるのはなんだかもったいない気もする。ううん、と頭を悩ませていると、綿のようなふんわりとした感触に手が包まれた。
「わっ。……あ、モンメン?」
地についた私の左手に覆い被さるようにして、モンメンが座っている。モンメンは葉のような形の羽(なのか?)をひらりと振った。まるで、そうだよとでも言っているみたい。見ず知らずの人間に寄ってくるなんて人懐っこい子なのかな。もしかしたら誰かのポケモンかも。そう思って見回しても、それらしき人は誰もいない。ならば野生なのだろうか。
「えっと、どうかしたの? なにか困りごとでもあるのかな」
大抵の野生ポケモンは警戒心を持ち合わせているもの。中には人間好きの個体もいるけれど、それでもせいぜい近寄って来るくらいだろう。自ら触れるなんて滅多にないはず。もしや緊急事態とか、助けを求めているとか? そう思って尋ねてみたけれど、モンメンはふるふると頭を横に振って否定した。それからふわりと浮かんで私の手を離れると、今度は膝の上へ乗ってきたのだ。
「あなた、すごく人懐っこいんだね」
野生のポケモンからこんなに好意的に接してもらえたのは初めてだ。笑いかけると、モンメンもにっこり笑ってくれた。
「ねえ、撫でてもいい?」
モンメンは頷いて、目を閉じた。私は恐る恐る頭に手を伸ばして触れてみる。指が埋もれるくらいふかふかで柔らかい。市販されている手芸用の綿とは比べ物にならないくらい、最高に触り心地が良い。モンメンの綿は質が良く、高級な寝具に使われると聞いたことがあるが納得だ。それに、撫でられて気持ち良さそうにしているのも愛らしい。
しばらく無言で撫で続けていたけれど、このままでは病みつきになってしまいそうだったので、触れたことで歪んだ綿の形を整えてあげてから手を離した。
「……あ、そうだ。ポケマメ食べる? 撫でさせてくれたお礼に」
カバンの中からポケマメを入れたケースを取り出し、ひとつ手に取って見せる。さすがにトレーナーでもない人間からもらったものは嫌かな、とも思ったけれど、モンメンは食べたいと言うように鳴き声を上げた。そのまま口元に持っていけば、小気味いい音を立てながら平らげてくれる。
「おいしかった? よかったね」
モンメンは嬉しそうに鳴いて膝から浮くと、私のほっぺにすりすりしてきた。お礼をしてくれているのかな。可愛らしい仕草に思わず口元が緩む。
「ふふ……わっ!」
背中に、ぽすんとなにかがぶつかった。 それは小さなボールくらいの大きさで、勢いはなかったため、驚いたけれど痛みはない。咄嗟に振り向けば、そこにはアブリーたちと遊んでいたはずのキュワワーがいた。キュワワーは少し悲しそうな、それでいて怒っているような、今までに見たことのない表情を浮かべている。
「あれ、鬼ごっこはもういいの?」
問いかけにはなにも答えず、キュワワーは私の胸に飛び込んできたので、花を潰さないよう優しく抱き留める。何事かと見守っていると、きゅう、と元気のない声で鳴きながら頭をぐいぐい押し付けてきた。キュワワーを指で撫でつつ、どうしてしまったのかと考えを巡らせてみる。
「……もしかして、ヤキモチ妬いちゃった?」
私がモンメンとふれあってデレデレしてたから、そのせいだったりして。
半ばあてずっぽうで口にした推測は正解だったらしい。キュワワーはちっちゃな頬をぷくりと膨らませ、もっと強くぶつかってきた。と言ってもやはり痛くはない。普段甘えてくる時よりちょっと激しいくらいだ。加減をしてくれているあたり、怒りよりも照れ隠しの割合が大きいのかもしれない。
「ごめん、ごめんって」
くすぐったくて笑いながら謝ると、淡いグリーンの瞳がじとりと私を見つめてくる。どうやら機嫌は直っていないみたい。謝っただけでは許してもらえなさそうだ。
私はキュワワーを両手の上に乗せ、同じ目線の高さまで持ち上げる。それから膨れっ面のほっぺたにキスをひとつ。瞬間、微かに空気の抜けるぷしゅうという音が聞こえてきた。
「ね、許してくれる?」
への字に曲がっていた口が、柔らかくほどける。キュワワーは返事の代わりに私のほっぺたにキスを返してくれた。近くで見ていたモンメンが呆れ顔で去って行ったのは、気にしないことにする。
「キュワワーもおやつ食べる? 昨日ね、仕事の帰りにおおきなマラサダ買ってきてたんだ」
カバンを手繰り寄せ、チャックを開けようとした時。キュワワーがなにか思い出したかのように短く鳴いた。ふと顔を上げれば、ついてきてほしいのか私の方を見つつ、花畑の奥へとゆっくり進んでいる。
「なにかあるの?」
キュワワーの三歩ほど後ろを歩き、たどり着いた先には木があった。緑の葉に紛れ、いくつもの黄色い花が身を寄せ合って咲いている。桃にも似た香りが鼻腔をくすぐった。
「プルメリア、ここでも咲いてるのね」
つい地に咲く花に目を取られがちだったが、プルメリアも負けず劣らず美しい。キュワワーは私にこれを見せたかったのだろう。
見せてくれてありがとうと伝えようとして横を見ると——隣にいたキュワワーは、私の手も届かない高さまで浮かび上がって、プルメリアの花をひとつ摘んだ。お気に入りの花を見つけたのかもしれない。好きな花で自分を飾る。はなつみポケモンとの分類の由来にもなっている、キュワワーの習性だ。よかったね、と思いながら見守っていると、キュワワーは手に持っているプルメリアの花を私に差し出した。
「え? ……私にくれるの?」
キュワワーはこくりと頷く。そのプルメリアは通常五枚あるはずの花びらがひとつ少ない、四枚だ。ちぎれてしまったからではなく、もともとそういう風に咲いているもののようだ。その証拠に、欠けてしまった五枚目のあるべき場所が空いた歪な形ではなく、元からそうであったと示すように四枚がバランスよく配置されている。
四枚の花びらのプルメリアは珍しい。そのため、見つけると幸せになれるという言い伝えがある。いつだったか、キュワワーにもその話をしたことがあった。言い伝えを知っていて、私にくれるというのだ。それが意味する好意の大きさに、きゅうっと胸が締め付けられる。
「ありがとう、キュワワー。とっても嬉しいな」
受け取ろうと伸ばした手に、キュワワーが身体をすり寄せる。それからするりとすり抜け、私の左耳にプルメリアを付けてくれた。花を飾る耳にも意味がある。右耳は未婚、左耳は既婚。もちろんキュワワーはその意味もしっかり理解しているのだ。
「ふふ。私のパートナーはキュワワーだもんね」
元気のいい返事と共に、キュワワーはもう一度私の胸に飛び込んだ。抱き寄せながらふたりで微笑み合う。
「じゃあ、せっかくだからプルメリアの木の下でおやつ食べよっか」
おやつを食べたらもうひとつ、四枚の花びらのプルメリアがないか探してみよう。私からキュワワーにもプレゼントとして贈りたい。きっと彼女の茎に飾られたプルメリアはより芳香を増し、その香りを感じるたびにお互いの幸せを噛み締めるのだろう。
マウロア
20230322