スマホのアラームで目が覚めた。まだ眠くて重たい瞼を擦りながら手探りで枕元を探ると、やがて指先にこつんと冷たくて固い液晶が触れる。スマホを顔のところまで持ってきて、やかましく鳴り響くアラームを止めた。それから私の腕は再び力無くベッドの上へと戻っていく。上瞼と下瞼がくっついて、明瞭になりかけた意識がぼやぼやと滲んでいった。
早くも夢の世界に片足を突っ込みながら、頭の中の覚醒している部分が思案を始めた。今日は土曜日なのになんでアラームが鳴ったんだろう。曜日を勘違いしてるということは無いはず。だって昨日は華の金曜日だった。だから佑芽ちゃんのお部屋に泊まっていちゃいちゃしてたんだもん。アラームの設定どこかいじっちゃったのかな。あれ、土曜日……?
——そうだ、佑芽ちゃんが「明日はお姉ちゃんとお出かけするんだー」と言っていて、「じゃあアラームかけておくね」と私から申し出たのだ。佑芽ちゃんが部屋を出る時に私も自室に戻ろう、それなら同じ時間に起きればいいかと思って。もう一度スマホの画面を見ると、アラームを止めた時から15分も経っていた。体感は一瞬だったというのに恐るべし、うたた寝。私は冷や汗をかきながら、隣で気持ちよさそうに眠っている佑芽ちゃんの肩を揺さぶる。
「佑芽ちゃん起きて! もう9時15分になっちゃった!」
「うーん……くじ……9時15分!?」
先ほどの私と同じく飛び起きた佑芽ちゃんは、この世の終わりみたいに青い顔をしている。
「ど、どうしようっ!?」
「私も準備手伝うよ、えーっと……まず服着るね! 髪のセットしたげるから佑芽ちゃんは着替えて顔洗っておいで!」
「うわーん、ちゃんありがとう〜!」
佑芽ちゃんは慌ただしくチェストから下着と洋服を引っ張り出して、ニットの前後を間違えたりスカートを履く時にバランスを崩しながらなんとか着替えると、わたわたと部屋をあとにする。しかし十数秒後、フェイスタオルと洗顔フォームを忘れたことに気づきUターンし、それらを引っ掴んでまた出て行った。
まだ寝起きで頭が回ってないのと焦っているのとで大変なことになってるな……。苦笑しつつ、私も脱ぎっぱなしだった下着を手に取る。佑芽ちゃんを無事に見送って自室に戻ったら新しいものに着替えよう。シワのよった部屋着に袖を通しながらそう思った。
佑芽ちゃんの部屋に泊まりにきたのは初めてでは無い。どこに何があるかだいたい把握できているくらいにはお邪魔している。ヘアオイルとブラシを用意して、ヘアアイロンのスイッチを入れた。設定温度は髪の傷みにくさとセットのしやすさのバランスが取れる160度。髪のセットをすると申し出たのは正解だった。あの様子だと、慌てすぎてアイロンしてる時に火傷をしてしまいそうだから。佑芽ちゃんには怪我をしてほしくない。
「ただいま! 間に合うかなあ〜!?」
「大丈夫、大丈夫。間に合わせるから」
少し弱気の佑芽ちゃんを椅子に座らせて、寝癖のついた髪を梳かす。超特急でメイクに取りかかる佑芽ちゃんを横目に、私はヘアオイルを手のひらに半プッシュ。両手に薄く広げてからやわらかい髪に馴染ませる。
「今日は咲季ちゃんとショッピングに行くんだっけ?」
「うん! お洋服とか見に行くんだー」
「そっか、じゃあ今日はまとめ髪じゃなくてもいいかな。編み込みのハーフアップにしてあげるね」
「やったー!」
佑芽ちゃんがいつも右の耳元でお団子にしている部分は髪が長いから、そこを掬って根本から編んでいく。初めて佑芽ちゃんの髪をセットしてあげた時に比べたら、だいぶ手際が良くなったものだ。
ニットの色に合わせてピンクのリボンのバレッタで留める。あとは後ろ髪を巻いていくだけ。ヘアアイロンは準備万端だからすぐに取りかかれる。一房ずつ、佑芽ちゃんの首元に当たらないよう慎重にアイロンを滑らせていく。
「ねえねえ、おみやげ何がいい?」
「んー? そんな、気を使わなくていいのに」
「えへへ、あたしがちゃんに何かプレゼントしたいの!」
鏡越しに見えるうきうきの佑芽ちゃんはアイメイク中らしい。マスカラのコームを手に持ったまま私の方を振り返ろうとしている。
「あ、手元、気をつけて。マスカラほっぺについちゃう」
「わーっ! セーフ?」
「ぎりぎりセーフ」
くすくす笑い合いながら、再び佑芽ちゃんは鏡に向き合う。長いまつ毛がマスカラに塗られて艶めき、さらにその存在感を強くする。瞼を染めるピーチピンクはこのあいだデートした時に私が勧めたアイシャドウだ。なんだか嬉しいな、私が佑芽ちゃんを彩るもののひとつになれたようで。
「それでそれで、何がいい?」
「じゃあ……佑芽ちゃんとお揃いのアクセサリーが欲しいな。指輪でもヘアアクセでもなんでもいいよ」
「分かった! かわいいの買ってくるからね」
巻き終わってまだ熱を持つ髪を優しく手でほぐしたら、完成。「できたよ」と伝えると佑芽ちゃんもちょうどメイクの最後の仕上げ、リップを塗っているところのようだ。
「うー、お腹すいた……」
「あはは……ショッピングの前にカフェとか寄って、朝ごはん食べなね」
「うん、そーする……」
寝坊のつらい部分は、身支度を優先するなら食事の時間を真っ先に削らなければいけなくなるところだ。アクティブな姉妹のことだからスポーツはしないにしてもたくさん歩き回ることだろう。朝食抜きは身体に悪いし、咲季ちゃんもかわいい妹の健康のためならカフェへの寄り道も快く頷いてくれるはず。
ヘアアイロンを片づけながらスマホを手に取る。時刻は9時58分。10時に咲季ちゃんが迎えにくると言っていたからそろそろだろう。なんとか間に合いそうでよかった。
佑芽ちゃんはカバンにお財布やハンカチ、ポーチなどを急いで詰め込んでいる。
「パスケース入れた?」
「入れた! チャージもしてあるよ!」
「スマホは?」
「ある! 充電100%!」
「忘れ物ない?」
「うん、ばっちり!」
まあ、たとえ忘れ物があったとしても咲季ちゃんが一緒なら心配いらないとは思うけれど。
佑芽ちゃんがカバンを肩にかけると同時に部屋のドアがノックされた。「おはよう、佑芽。もう出かける準備はできてるわよね?」咲季ちゃんだ。10時ぴったり、完璧なタイミング。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「うん。ちゃんもゆっくり休んで——あ、忘れてた!」
「え?」
佑芽ちゃんは私の両頬をそっと包み込み、唇を重ねた。それは一瞬のことで、キスされたのだと気づいた時にはかわいらしい音を立てながら唇が離れていった。
突然のことにぽかんとする私に、佑芽ちゃんは耳を赤くして「へへ」と照れ笑いを浮かべる。
「いってきますのちゅー! おみやげ楽しみにしててね」
「あ、鍵は帰ったらちゃんのとこに取りに行くから、持ってていいよー!」と言い残し、佑芽ちゃんは部屋を出た。ドア越しに「お姉ちゃんおはよー!」「おはよう。今日のコーディネートもすごく良いじゃない」と姉妹の微笑ましい会話が聞こえてくる。
静かになった部屋の中でいまだに立ち尽くしながら、私は自分の唇に触れた。佑芽ちゃんのつけていたリップが移って指先がほのかなピンクに染まる。そういえば、ちゃんとメイク直しのリップもポーチに入れたのかな。そんな心配をしながら、私はつい1時間前まで佑芽ちゃんと一緒に眠っていたベッドにごろりと寝転がる。
おみやげ、どんなものを買ってきてくれるんだろう。楽しみだな。大好きな恋人の太陽のような笑みを思い出しつつ、無事に送り出せた安堵感から襲ってきた眠気に従って、私は二度寝を決め込むのだった。
砂糖仕掛けのくちびる
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