運命を重ねてきみに辿り着く
 私がまだ小さかった頃。鉱物収集が趣味であるパパの部屋に入って、綺麗に飾られた石たちを眺めるのが好きだった。
 ひとつひとつが照明の光を受けて煌めくと、まるで息をしているように見える。ガラスケースに手をついて、鼻先がくっつくくらいに近づいてうっとり眺める私を、パパは厭わずに優しく見守ってくれた。

「じゃあ、にいいものをあげよう」

 ある日パパはそう言うと、チェストの中から小箱を取り出して私に手渡した。「開けてごらん」と言われるがままに蓋を開けば、そこにはべっこう飴のような色をしたまあるい石が鎮座している。私の手のひらと同じくらいの大きさがある、ガラスケースに飾られている石たちより立派なもの。——鉱石の価値は単に大きさによるとは限らないのだけれど、そんな知識のない子どもは単純だ。

「いいの? 本当にもらっていいの?」

「もちろん。大切にすると約束してくれるならね」

「うん、約束する!」

 パパと指切りを交わしたあと、私はその石を直接手にして光に透かす。べっこう飴のようだと思ったけれど、光を浴びるとほのかに赤みを帯びていることが分かる。ママの淹れてくれる紅茶みたいな、ヨーグルトに垂らすハチミツみたいな、パパがたまに飲むウイスキーみたいな——あたたかくて素敵な色。

「それはひみつのコハクと言ってね。その中には古代ポケモンの遺伝子が入っているそうだよ」

「遺伝子?」

「そう。研究所に持って行くとポケモンを復元してくれるんだって」

 何かが入っているようには思えないけど……。コハクにぐっと顔を近づけて、眉間に皺を寄せながら見てみても、やっぱり分からない。ううんと唸って首を傾げる私の頭を、パパの大きな手のひらがくしゃりと撫でた。

「遺伝子は目に見えないよ。その代わり、そのコハクからどんなポケモンが復元されるのか……いつかに確かめてほしいな」

「うん、私も知りたい。こんなに綺麗なコハクなんだもの、きっと素敵なポケモンなんだろうなあ」

 いつかの未来に出会うポケモンは、どんな姿形をしているのだろう。
 それからというもの、時間を見つけてはコハクを眺めてまだ見ぬポケモンの姿を夢想した。早く旅に出られるくらいのお姉さんになりたいと何度願っただろう。お守りのように肌身離さず持ち歩いて、最初に触れるポケモンはこのコハクから復元した子にするのだと心に決めた。

 ——あれから数年が経ち、私は今旅をしている。もちろん相棒はひみつのコハクから復元したポケモンだ。
 ふたつのツノ、鋭い牙の生える大きな口、何もかも噛み砕く強い顎と、ひと振りで万物を吹き飛ばしてしまいそうな翼。プテラだ。
 私の少し先を飛んでいたプテラは、ぐるりと旋回してから戻ってきた。その体躯が地に降り立つと土埃が舞う。それとほぼ同時に近くの木でひと休みしていたバタフリーが飛び去り、きのみを抱えたオオタチもそそくさと逃げていった。プテラから放たれるプレッシャーを感じ取ったのだろう。強者とはそこに居るだけで有象無象を圧倒するものなのだ。

「そろそろ休憩しない?」

 私たちは森を通って次の町へと向かう最中なのだが、どこを歩いても似たような景色ばかりで少し疲れてしまった。強いトレーナーや見たことのないポケモンとの出会いは楽しみだけれど、身体がついていかなかったら元も子もない。それにプテラも私に比べたら体力があるだろうけれど、疲労を感じないわけではないだろうし、いつバトルになろうとも万全の状態でいてほしいから。そんな私の気持ちを汲み取ってくれているらしいプテラはおとなしく頷いてくれた。
 この道を誰かが切り拓いた時にできたのであろう切り株に腰掛けて、バッグの中を探る。昨日までいた町でいろいろと買い込んでおいて良かった。

「ね、ポフレあるよ。食べるでしょ?」

 そう尋ねると、プテラは立派な翼と比べてあまり発達していない足でのしのしと歩き、私のそばに来た。頬を撫でてやると心地良さそうに瞳を細め、喉を鳴らす。この仕草が私は好きだ。
 こんなふうに甘えた顔を見せてくれるまで——距離が縮まるまで色々あったな。懐かしい記憶が蘇る。その"色々"を思い出すと気が遠くなりそうだ。あれはあまりにも破天荒な出会いだったから。


◇◇◇


 幼かった私が成長して、さて旅に出ようとなった時に立ちはだかったのがパートナーポケモン決めという壁だ。博士のところへ行けば一匹もらえるらしいと聞いてはいたものの、何せ私はひみつのコハクから復元されるポケモンがいいと最初から決めていた。「気持ちは分かるけど、博士からもらうのはダメなの? 復元されるのがどんなポケモンか分からないのに」——と心配顔のママを宥めて、私を化石研究所まで送ってくれたのはパパだった。パパもどんなポケモンが復元されるのか興味津々らしい。
 さっそく研究員の人に大事なコハクを預け、ソファにて復元を待つことしばらく。不意に、がしゃんと何かが崩れる大きな音がした。私もパパも驚いて顔を見合わせ、音源である研究所の奥の部屋を見遣った。たしかあそこはひみつのコハクの復元作業をしている部屋のはずだけれど……。不安に胸を苛まれているうちにもう一度大きな音がして、研究員の人が慌てて部屋から出てきた。その姿は擦り傷だらけで、メガネは割れているし白衣も乱れている。ほかの研究員も何事かと彼に駆け寄った。

「どうしたの、何があったの?」

「ひ、ひみつのコハクを復元してて、そしたら……」

 瞬間、彼の言葉を遮るようにして奥の部屋の壁が吹き飛んだ。咄嗟に覆い被さって庇ってくれたパパの肩越しに見えたのは、飛び散る瓦礫の破片をものともしない大きな翼竜の姿。あれがコハクから復元されたポケモンなの? 離れていても肌がぴりぴりするようなプレッシャーを感じ、私は固唾を飲み込んだ。
 そのポケモンは甲高い声で雄叫びを上げ、精密機器の並ぶラックを尻尾で薙ぎ倒し、山積みの書類を切り裂き、パソコンを真っ二つにした。突然の事態に研究員たちは逃げ惑うばかりで、誰もあのポケモンを止められそうにない。怖くてパパの服に捕まっていると、パパは私の名前を呼んで顔を上げさせた。

、隠れていて。パパがあのポケモンを弱らせるから、そしたら隙を見てモンスターボールで捕まえるんだ」

「でも……あんなに強そうなポケモン、私にゲットできるかな」

はずっと、ひみつのコハクから復元したポケモンとの旅を夢見てきただろう? 今もその気持ちが変わらないなら、きっと大丈夫」

 パパはそう言って優しく笑うと、いつものように私の頭をくしゃりと撫でた。それから上着のポケットに入れていたモンスターボールを構える。誰もが慌てふためく中で立ち向かうことを決めた、まるで別人みたいに凛々しいパパの横顔を私はソファの影に隠れながら見ていた。
 綺麗に手入れされたモンスターボールが宙に放たれ、眩い光とともにポケモンが姿を現す。私も赤ちゃんの頃からよく知っている、緋色の瞳が美しいパパの相棒だ。

「キングドラ、あのポケモンを大人しくさせるよ。バブルこうせん!」

 パパの相棒——キングドラは口からバブルこうせんを吹き出して相手のポケモンへとぶつける。どうやらみずタイプに弱いのか、それなりにダメージを受けたのが見ていて分かった。けれどもまだまだ勢いは止まらず——むしろ攻撃を受けたことで火に油を注いだのか、翼をはためかせて風を起こし、壁が崩された。その大きな破片が飛んでキングドラの身体を傷つける。私ははらはらして、ソファの端にしがみつくことしかできない。

「バブルこうせんじゃ弱かったみたいだ。ハイドロポンプ!」

 しかしキングドラも負けじと手加減なしのハイドロポンプを放つ。バブルこうせんで動きの鈍っていたポケモンは激しい水の勢いに圧倒され、苦しそうな声を上げつつその身体を瓦礫の山の中に横たえた。

「よし。、モンスターボールを!」

「う、うん……」

 汗で湿った手のひらでカバンの中のモンスターボールを握りしめる。大丈夫、きっと大丈夫。おまじないなのか暗示なのかもはや分からないくらい心の中でそう繰り返し、あのポケモンの元へと歩を進めた。
 キングドラのハイドロポンプがよっぽど効いたのか指の一本すら動かす気力は無いらしい。おそらく、ひんし状態の一歩手前といったところだろう。それでも強い意思の宿った瞳が、今にも私を襲わんとして睨みつけてくる。怖い。あんなに大きな口で噛みつかれたら、強大な翼で振り払われたらひとたまりもない。けれど——。
 私はすっかり怯えて冷たくなった手を伸ばし、そのポケモンのマズルをおずおずと撫でる。喉の奥で唸る声が聞こえた。拒絶されていることは言葉を交わさなくても理解できる。それでも、どうしても伝えたいことがあるのだ。

「……あのね、私はずっとあなたに会いたかったんだよ。ここは知らないところだし、知らない人ばかりで怖いよね。ごめんね。でも、私はあなたの味方だから。……信じてくれる?」

 大丈夫だと伝えたくて、震えながら何度も何度も撫でた。真摯な言葉で訴えたところで本心など誰からも見えないのだ、信じてもらえるかなんて分からない。だとしても辞めたくなかった。
 そうしているうちにやがて唸り声が収まり、こちらを射抜くまなこを隠すように瞼がそっと閉じた。力尽きたのか、私の言葉を理解してくれたのか。どちらかなんて考える暇もなく、私はモンスターボールをそのポケモンの額にこつんと当てる。モンスターボールが暴れることはなく、ゲットしたことを教えるようにかちりと音が鳴った。
 大人しく捕まってくれたことにほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、我に返って周囲の惨状に青ざめる。研究所は半壊し、加えてキングドラのわざで水浸しになってしまった。思わず頭を抱えたけれど、私たちを心配して駆け寄ってきた研究員の人たちの表情は明るい。

「いやあ、ひみつのコハクからはプテラが復元できると話には聞いていましたが……すごかったですね」

 あのポケモンはプテラと言うらしい。古代のポケモンで、かなり獰猛な性格なのだとか。納得だ、そう評される所以をこれでもかと見せつけられたのだから。

「申し訳ないです。研究所をめちゃめちゃにしてしまって……」

パパは気まずそうに頬を掻いて、よく戦ってくれたキングドラの背を撫でた。キングドラもきっとプテラを落ち着かせるために必死だったのだと思う。まじめな性格の彼は、心なしか申し訳なさそうに研究員を見つめていた。

「いえいえ。こういうトラブル、化石の復元をしているとたまにあるんですよ。むしろこの程度で済んだのは幸運でした」

 化石の研究員とは私が思っているより過酷な仕事なのかもしれない。「データのバックアップはサーバーに残っていますし、まあ……なんとかなりますよ!」と楽観的に笑うと、壊れて使えなくなったメガネを白衣のポケットにしまって、研究員の人は私の目線に合わせて屈んでくれた。

「プテラを大切にしてあげてくださいね」

「はい! 復元してくれてありがとうございます」

 今日からは私がプテラのトレーナー。しっかりしなくちゃいけない。あの強さを正しい方向に使えるように。
 私はモンスターボールを両手で包んで、ずっと待ち望んでいたパートナーとの出会いを改めて噛み締めたのだった。


◇◇◇


 本当に大変だったなあ。研究員の人は大丈夫だと笑っていたけれど、あれから研究所はしばらく閉鎖されていたし。プテラも捕まえたはいいもののなかなか心を開いてくれなくて、私の指示に従わなかったり、気がつくと勝手にどこかへ行ってしまっていたり……よく困らされたものだ。私が強めに叱った時にはヘソを曲げたりなんかして、名前を呼んでも背を向けたまま返事すらしてくれなかった。でも、抱きしめて「きつい言い方をしてごめんね」と言うと、こちらを見ずにしっぽで抱きしめ返してくれたのだ。そんなことを繰り返して私たちはお互いを知り、つらいことも楽しいことも分かち合って、ついには自他ともに認める唯一無二のパートナーになった。
 これまでのことを思い出してしみじみしていると、ポフレを頬張っているプテラが不思議そうに小首を傾げた。

「出会った時のことを思い出していたの。あなた、暴れん坊だったなーって」

 獰猛な性格を抜きにしても、人間の都合で遠い未来に復元され、見たことのない景色に戸惑うのは理解できる。だからプテラを責めるつもりは更々無い。紆余曲折ありながらもここまで打ち解けられたことが嬉しいのだ。
 プテラは少しバツが悪そうに顔を逸らした後、ふと何かに気付いたのか木立に視線を向けた。

「どうしたの?」

 私が言うのとほぼ同じタイミングで、草むらを駆ける複数の足音が近づいているのが聞こえた。こちらへ向かって来ているということは、野生のポケモン——それも群れだろう。きっとバトルになるはずだ。私は切り株から立ち上がって構える。隣のプテラも表情を険しくした。
 唸り声とともに現れたのは5匹のグラエナだ。その鋭い嗅覚でポフレの匂いを嗅ぎつけたのだろうか。瞳には敵意が浮かんでいて、ポフレをあげるから帰ってねと言っても引き下がってはくれなさそうだ。
 目を合わせるとプテラは頷いて、翼を広げると宙に浮いた。グラエナたちも体勢を低くし今にもプテラへ飛びかかろうとしている。タイプ相性こそ不利ではないけれど、早めに決着をつけるのが吉だろう。

「プテラ、ドラゴンクロー!」

 宙空へと高く飛び上がったプテラは勢いをつけ、一気に地上目がけて降下するとグラエナの陣形を崩すように通り抜けた。すれ違いざまにその鋭い両爪でグラエナの身体を切りつけると、2匹が深手を負ったのかふらりとよろめく。残りの3匹もダメージを受けたものの、まだまだ闘志は潰えていないらしい。プテラを再び空へ逃すまいと地を蹴り、瞬時に噛みついてきた。
 痛みに顔を顰めたプテラが身を捩り、グラエナを振り払う。もう1匹が同様に噛みつこうとしてきたのを身体を捩って避け、なんとか空へと戻った。こちらを伺っている一際巨躯のグラエナがリーダーなのだろう、統率の取れた群れだ。それなりに戦闘の経験も多そうなので、相手の数の多さを考えると長引く前にここで畳みかけたい。

「一気に決めよう。はかいこうせん!」

 プテラのもとにエネルギーが集まり、激しい閃光が迸る。その眩しさと爆風に私も思わず瞼を閉じてしゃがみ込んだ。いくつもの木々が薙ぎ倒される音が聞こえる。まともに食らっていたら立ち上がれないだろうし、そうでなくとも恐れおののいて逃げ帰ることだろう。
 爆煙でもうもうと視界が烟る中、早くプテラのところへ行こうと立ち上がりかけた時——足音が近づいてきた。硬い爪が軽やかに地面を弾く音。プテラのものではない。あの子は足が短いのだ、こんな速さで駆けることはできない。まさかと肝が冷えるのと、グラエナの影が差すのはほぼ同時だった。
 はかいこうせんに耐えたのであろう、傷を負ったリーダーのグラエナ。平均的な個体よりも大きな身体とその爪で私を引き裂くのなんて、きっと容易だ。グラエナは私を睨みつけ、低い唸り声とともに腕を振りかぶった。すぐにでも逃げなければと思うのに足が言うことを聞かない。耳の奥で激しい鼓動が鳴るのを聞きながら、目を瞑ることもできずに迫る脅威を呆然と眺めているしかできなかった。
 ——「助けて」と言葉になったのかは分からない。けれどもう終わりだと諦めた瞬間、見慣れた背中が視界を遮った。プテラだ。プテラは私を庇いつつ、もう一度ドラゴンクローをグラエナへと食らわせたのだ。さすがに効いたのか、グラエナは悔しげにこちらを睨みつけたあと茂みの方へと去って行った。残りの4匹も早々に退散したのか姿は見えない。
 先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返った中で、数拍置いたあとに私はようやく我に返った。

「プテラ……あの、ありがとう。私……」

 まだ気が動転しているのかうまく言葉が紡げない。それでもプテラは私の方を振り返り、口角を上げて得意げな笑みを浮かべた。はかいこうせんの反動で身体が動かないはずなのに私の危機を察知し、無理を押して駆けつけてくれた。灰色の体躯にはいくつもの傷が刻まれている。

「そうだ、傷の手当てしないと……」

 プテラがこんなに深手を負ったのは久しぶりかもしれない。私の落ち度だ。バッグを手繰り寄せ、慌ててキズぐすりを探した。けれど急く心に反して震える手では容器をうまく掴めなくて、早く手当してあげたいのにと歯噛みする。
 そんな私を見かねたのか不意にプテラは地に降りると、その大きな翼で私を包み込むように抱きしめてくれた。人を抱きしめるなんて初めてだからか、その仕草はぎこちない。それでももう大丈夫なのだと、私を安心させようとしてくれているのが伝わってくる。——いつか私がプテラにしたのと同じように。

「うん……ありがとう。落ち着くよ」

 翡翠の瞳を見つめながら言うとプテラは気を良くしたのか、喉を鳴らし私の肩に顎を乗せた。
 もしもあの時、私がプテラと旅に出ることを選択していなかったら。もしもプテラが私を信用せずモンスターボールに入ってくれなかったら。こうしてふたりで抱き合うことも無かったのだろう。

「プテラ、大好き。これからもずーっと頼りにしているからね」

 任せておけと言うように、プテラはひと鳴きして返事をしてくれた。なんて頼もしいパートナーなのだろう。おかげで手の震えはいつのまにかおさまっていた。
 この旅の果てに何があるのか分からないけれど、プテラが居るならどんなことがあっても大丈夫。
 太い首をぎゅっと抱きしめると、プテラも負けじと強く抱きしめ返してくれる。「もう、苦しいよ」とくすくす笑いながら、私は目尻に滲む嬉し涙をそっと隠した。


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20240704
20241109 加筆修正

素敵サイト「縹」の雨宮さんとネタ交換をして遊んでいただきました……!
書くのめちゃめちゃ楽しかったです。ありがとうございます!