土の中はひんやりとしていて、静かだ。
眩しくて騒がしい外界から逃げるようにして土にもぐるのが、ヨーギラスは好きだ。お腹がいっぱいになるまでたらふく土を食べて、眠たくなったらそのまま瞼を閉じればいい。ヨーギラスにとっては楽園のような場所だ。
けれど——。
「あ、いた! ヨーギラスったら」
少し呆れの色を滲ませた声が耳に届いて、ヨーギラスは片目を開く。きっとだろう。気づかれないように家を抜け出して、庭に穴を掘ったというのに。早々に気づかれてしまった。は土を掘り返しているのだろう。真っ暗な土の中には徐々に光が差し込み、外の空気が流れ込んでくる。またヨーギラスの負けだ。眩しさに顔を顰めてヨーギラスは不貞腐れた。
ヨーギラスが庭のどこに隠れようと、は見つけ出してしまう。あっというまにスコップで土を掘り返してヨーギラスの顔についた汚れを拭ってくれるのだ。
「こんなに汚しちゃって……。ちゃんとお風呂に入ってもらうからね」
お風呂の言葉にヨーギラスはいやいやと首を横に振る。ヨーギラスはお風呂が嫌いだ。多くのほのおやじめん、いわタイプのポケモンがそうであるように、身体が濡れることを好まない。けれど今のヨーギラスは全身土まみれ。このまま家に上がればヨーギラスの足跡だらけになってしまうだろう。そんなのはが許さないのだ。
「さ、まずは足を拭くよ」
用意周到なことには濡らしたタオルを持ってきていた。ヨーギラスは聞かん坊のように無視を決め込みたかったが、は彼と同じくらい、いやそれ以上に頑固である。抵抗すればヨーギラスが折れるまでこのまま睨み合いが続くだけだ。覚悟を決めるしかないのか。ヨーギラスは不承不承ながら右足を上げた。
「うん、えらいえらい」
褒められたって、嬉しくないやい。
ヨーギラスがつんとそっぽを向いてみせても、はくすくす笑うばかり。変なやつ。出会った日からヨーギラスはのことをそう思っている。
ヨーギラスは気がついた時から土の中にいた。
お腹が空いていたから土を食べた。食べ続けた。するといつのまにか地上に出ていて、自分はどこに行けばいいのかと迷っていた時。が現れたのだ。
「あっ、ヨーギラス! 捕まえなきゃっ」
そうして何も分からずにいるヨーギラスは、モンスターボールで捕まえられてしまった。連れてこられた場所は全く知らない場所で、ヨーギラスが居たところとは似ても似つかない。その上、土の中にもぐるとはヨーギラスをお風呂に入れようとしてくる。いやだと伝えているのに。でも、ポフレとかいう甘い食べ物をくれるし、ヨーギラスが拗ねても怒ったりしない。そんな良いところもある。
だけど——だけどやっぱり、お風呂に入れてくるところは嫌いだ!
ヨーギラスは襲い来るシャワーから逃げ、バスルームを走り回る。
「こらこら、逃げないのー。早く綺麗にして出ましょうね」
ヨーギラスが暴れるせいでの服はびしょ濡れだ。髪からも雫が滴っている。とうとう隅に追い詰められたヨーギラスは観念して、固く目を瞑りながらシャワーを浴びた。それからふわふわに泡立てたメリープの形のスポンジで身体を撫でられる。なんだかお花とは違ういい匂いがして、これは嫌じゃない。強張っていたヨーギラスの身体が少しリラックスする。
「ヨーギラスがお風呂を好き……にはなれなくても、苦痛じゃなくなるようにと思ってね。良い香りの石鹸を買ったの。どう?」
心地よさそうな表情ですんすんと鼻を鳴らすヨーギラスを見て気がついたのだろうか。はそう言った。たしかに、前回までとは違う匂い。ヨーギラスも気に入った。けれど素直に頷くのは抵抗があって、またぷいとそっぽを向いた。すると飛んでいたシャボン玉に鼻先をくすぐられて、くしゅんと可愛らしいくしゃみが。はくすくす笑って、泡だらけの手のひらでヨーギラスの頭を撫でてきた。
撫でられるの、恥ずかしいからやだ! ヨーギラスがの手を振り払うように首を振ると、その勢いで身体についた泡が飛び散った。床のタイルや壁、それからにも。
「きゃー! あはは、ヨーギラスったら!」
の笑い声がバスルームに響く。やっぱりは怒らない。鼻に泡がついているのに。ヨーギラスがぼんやりとを見上げているとシャワーが降ってきて、また暴れ回った。
「はあー、お風呂に入るだけでも一苦労ね」
ヨーギラスの身体をバスタオルで拭いてあげながら、は疲労の滲む声でおどけるように言った。
だって、お風呂嫌いなんだもん。ヨーギラスは頬を膨らませてを睨んでみせたが、ちっとも効果はないようだ。それどころかまたもや愛おしそうに微笑むものだから、ヨーギラスはバツが悪くなって目を逸らした。
「……よし、もういいよ」
水気を吸い取ったバスタオルがヨーギラスの身体から離れる。綺麗に洗われたおかげで頭のてっぺんから爪先まで汚れひとつない。石鹸のほのかな香りがふんわりと漂った。
「さて、お昼寝でもしようかな。お風呂入れるの頑張りすぎて体力使い果たしちゃった。ヨーギラスはどうする?」
は苦笑しながらヨーギラスの顔を覗き込む。どうするって言われても……。少しばかり困惑して、ヨーギラスは思わず窓の外に視線を向ける。落ち着くからという理由での目を逃れて庭に穴を掘り、潜り込むのが常だ。けれどお風呂に入ったばかりの身体を汚すのは、ヨーギラスはなんだか気が引けた。いつもはそんなことを考えないのに。もしかしたら、良い香りの石鹸のせいなのかもしれない。
「お庭に出たいのかな? いいけど、柵の外には出ちゃダメだよ」
それなのに、は構わないと言った。どうして? 「せっかくお風呂に入ったばっかりなのに、やめてよ!」って言わないの?
不思議そうに見上げてくるヨーギラスに気づいたが、彼の頬を優しく撫でながら言った。
「ヨーギラスが好きなことをしていいんだよ。まあ、汚れたらまたお風呂に入ってもらうけど……。一番心地良い場所で過ごしてもらいたいし」
ヨーギラスは素直に手のひらを受け入れながら、のつやつやと光る瞳を眺めた。
お風呂に入れるの大変だったって、さっき言ってたくせに。変なやつ。なんでそんなに優しい顔をしてるの? 分かんないや。
ヨーギラスが思考の処理に四苦八苦していると、は大きなあくびをひとつ漏らした。それから目尻に滲んだ涙を拭って立ち上がる。呆気なく遠ざかる手のひらの熱を、ヨーギラスは少しだけ惜しいと思った。
「寝ちゃお……。おやすみー。怪我にだけは気をつけてね」
眠気が強いのか、は踵を返すと足早にベッドへ潜り込んだ。ヨーギラスが土の中を好むように、も眠る時はベッドの中に身体を埋める。こちらに向けられた背中を見ていると、心の中にじわじわと寂しい気持ちが湧き上がってくる。どうして? 眩しいのも騒がしいのも嫌いだから、ぼくはひとりで土の中に居るのが好きなのに。
自分のことなのにちっとも分からない。分からないけれど——ヨーギラスは心の赴くまま、庭ではなくが眠っているベッドの方へ向かった。それから一生懸命にジャンプしてベッドの上へ飛び乗る。ぎしりとスプリングが軋むと、早くも微睡んでいたらしいが驚いた顔で振り向いた。
「ヨーギラス? どうしたの、お腹空いたの?」
違う、お腹なんか空いてない。
膨れっ面のままヨーギラスはに倣って布団の中に潜り込む。肌に触れる質感こそ土とは違うけれどふわふわしている。の寝床も悪くない。ヨーギラスは表情を緩める。
「……一緒にお昼寝しようか」
はヨーギラスと向き合う形になって、彼を胸に抱いた。の体温はあたたかい。照れくささよりも心地よさが先立って、ヨーギラスは大人しく瞼を閉じた。しょうがないから抱きしめられてあげる。なんて、誰に言うでもなく意地を張りながら。
がヨーギラスの好きなようにさせたい気持ちが彼への愛ならば、抱きしめることを許すヨーギラスのそれもきっと愛だ。にぽんぽんと背中を撫でられたヨーギラスは、土の中で眠る時よりも早く夢の世界へ落ちていった。
そんな彼の寝顔をひっそりと盗み見るが幸せそうな表情をしていることも知らずに。
やさしい愛をください
20230626