「本当にひとりで大丈夫なの?」
医療隊のキネが柳眉を寄せ、不安げに胸元で指を組んでいる。は苦笑いを浮かべつつ頷いてみせた。
「大丈夫、長居はしないから。それに、めかくしだまをたくさん持っていくもの」
めかくしだまがこれでもかと詰め込まれたポーチはでこぼこに膨れている。の足元に居るパートナーのミミロルがぴょんと跳ね、肯定するように笑った。
はこれから天冠の山麓へ向かう。数ヶ月前までは行ってみようと思ったことすら無かった。
はギンガ団の製造隊に所属している。かつて暮らしていたホウエン地方での伝手を使い、ヒスイ地方では珍しい商品を仕入れるルートを築いた。普段は雑貨屋の手伝いや、ヒスイ地方で採れたものを輸出する販路の拡大に奔走しているのだが——此度はコトブキムラの外へ足を運ぶことを自ら選んだ。
きっかけとなったのは、数ヶ月前に時空の裂け目なるものから落ちて来たという珍妙な新入りのテルだ。恐れるものなど何も無いのか躊躇いなく各地を駆け回るその人は、キズぐすりからポケモンを捕えるボールまでもをほとんど手作りしている。コトブキムラの外へ出ることも滅多に無いはキズぐすりを使う機会も無ければ、ポケモンを捕まえに行ったりもしないためにクラフトをしたことが無かった。けれどもし、それらをクラフトで作れるようになれば。村人たちに販売する分とは別で用意をすれば輸出を増やせる。それに既存のレシピに手を加えてさらなる改良を重ねることができれば、新商品の開発も夢ではない。
移住してくる人たちが増え続けるコトブキムラや、ギンガ団の発展のため。それから自分がどこまでやれるかの腕試し。今までは少しムラの外に出るだけで得も言われぬ恐ろしさに襲われていたけれど、材料集めのために自分から外へ出てみようと思い立った。わざわざ危険を冒さずともイチョウ商会の人たちから購入するか、畑で採れたものを使えばいいだろうとタイサイやキネをはじめとした人たちにさんざん言われたものだ。けれどの意思は固い。それはポケモンを必要以上に怖がらなくてよいと教えてくれたテルの存在が大きいのだろう。まだ作成途中の図鑑を何度も見せてもらって、各地にはこれほど多様なポケモンがいるのかとは興味を惹かれた。テルのようにポケモンをボールで捕まえたりはできずとも、この目で見てみたい。商売に対する情熱以外に、の心の片隅にはそんな気持ちもあった。
「ああ、心配だわ……。せめて、キズぐすりを持って行ってちょうだい」
「あら、ありがとう。帰って来たら、キズぐすりは3個に増やしてお返しするね」
キズぐすりの材料はオレンのみとクスリソウ。の頭の中ではきのみや薬草の採集に至るまでシミュレーションができている。3倍返しすると軽口を叩くと、ようやくキネの表情が晴れた。とキネは歳が近いこともあり気安い仲だ。友愛あればこその心配であるとも理解している。キネの悲しむ顔は見たくないし、自分のためにも無事に帰って来なければいけない。は受け取ったキズぐすりをポケットにしまい込む。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。本当に気をつけるのよ」
門まで見送りに来てくれたキネに手を振り、は天冠の山麓への道をミミロルとともに意気揚々と歩き始めた。
しかし——キネの心配は的中したと言えよう。
ムラの外の世界を甘く見ていたのかもしれない。鈍い痛みが響く足首をさすり、は溜め息を吐いた。その息は白く染まり、現在の気温がいかに低いかを如実に表している。
は天冠の山麓に着くなりめかくしだまを駆使し、ポケモンたちに見つからないよう移動していた。小遣いをはたいて用意した甲斐もあって、クラフトに必要な材料の採集は滞りなく済んだ。これなら約束通りキネにキズぐすりを3倍返しできるだろう。
早々にムラへ帰るか、それともめかくしだまが余っているからもう少し探索していくか。悩んでいたはふと、崖を登ったところにキングリーフが咲いているのを見つけた。キングリーフはたしか、オボンのみと掛け合わせればまんたんのくすりを作成できたはず。イチョウ商会からもキングリーフは購入できるもののなかなか値が張る。思わぬ恩恵だ。は目を輝かせる。
しかし、ほぼ垂直の崖を登るのはいささか恐ろしい。ところどころ岩が出っ張り、足がかりになりそうな箇所はあるけれど……。はしばし悩んだものの、目先の利益に手を伸ばすことを選んだ。運動神経にはそこそこ自信があるので大丈夫だろうと——そう、油断していた。
ミミロルを胸元に抱え、は慎重に崖を登っていく。頬を掠めて落ちていく砂粒に時おり肝を冷やしながらも、あと少しで辿り着くと気が緩んだその時。背後から金属が擦れ合うような音が聞こえた。その音は無機質ではなく感情が乗っている。これは——ポケモンの鳴き声だ。が背後を見下ろすと銅鏡に似た姿のポケモンであるドーミラーが居た。
いつから見つかっていた? さっと血の気が引く。ドーミラーは何やら力を溜め、を攻撃しようとしているようだった。まずい、早く逃げなければ。焦ったは崖を登りきってしまおうとした。が——運悪く右足をかけていた足場が崩れてしまったのだ。あ、と声を出すことすらできなかった。気がつけばは数メートルの高さから落ち、したたかに身体を打ちつけてしまった。
「ううっ……ミミロル、ミミロル!」
自分がどこに落ちたのか、どんな体勢でいるのかすら分からない中で、痛みに悶えつつはミミロルの名を呼んだ。怪我をしていないか、あのポケモンに襲われてはいないか。何度も咳き込み、擦りむいたらしい手のひらや膝の痛みに顔を顰めて、立ち上がれないながらも闇雲に腕を伸ばす。いつのまにか濃霧が立ち込めて周りがよく見えない。どうしてこんな時に。は泣き出しそうに上擦った声でミミロルを呼び続けた。ややもするとミミロルの鳴き声が聞こえ、の右手にあたたかな体温が触れる。霧からふわりと浮かび上がるかのように、茶の身体と黄色の毛皮が現れた。
「ミミロル、よかった……」
はミミロルを抱きしめ、その頭を撫でてやる。ミミロルも安堵したのかの首にぎゅうっと抱きついて頬を寄せた。
ドーミラーは落ちてきたふたりに驚いて逃げ帰ったのか、霧で視界が遮られたことで諦めたのか姿は見えない。ほかにポケモンはいないかとが念のために周囲を見渡すと、自分たちがどこに居るのかが分かってきた。どうやらふたりは岩棚に受け止められたらしい。もし地面まで落ちていたらよくて大怪我、当たりどころが悪ければ死んでいただろう。
「ああ……腕、怪我してる。ごめんね、私のせいで……」
と一緒に宙へ投げ出されたミミロルも無事では済まなかったようだ。小枝か岩で擦ったのか、その腕には血が滲んでいる。はポケットからキズぐすりの小瓶を取り出し、かじかんだ指先で蓋を開けた。キネにもらったキズぐすり。まさか使うことになるとは思っていなかった。
はミミロルの傷口にキズぐすりを塗り込んでいく。けれどミミロルはまだ悲しげな顔のままだ。
「腕のほかにも痛むところはある?」
優しく問うもミミロルはかぶりを振るばかり。は困り顔でミミロルを撫でてやることしかできない。すると、ミミロルは腕の中からするりと抜け出しての右足にそっと触れた。
が一向に立ち上がろうとしない理由をミミロルも理解していたのだろう。足場が崩れた時、登ろうと力を込めていたがためには足首を痛めてしまっていた。
「……私は大丈夫だから、心配しないで」
そう告げるの声は震えていて、ミミロルを安心させることなどできなかった。空はどんよりと曇り、気温が下がってきている。もうまもなく日が暮れるだろう。そうなればここ一帯はゴーストタイプのポケモンが跋扈する。足を引きずりながらでは、めかくしだまがいくつあっても天冠の山麓を抜けるには心許ない。ここで日が昇るまで待つにしても、夜の寒さに耐えられるだろうか。——いや、おそらく無理だ。の鼻先に触れる雪の冷たさが、お前は朝日を拝めないよと嘲笑っているようだった。
まだ死にたくない。けれど、もし、助かる見込みが絶望的なのだとしたら。はミミロルを羽織の中に包んで、胸に抱きしめた。
「ミミロル、あのね、よく聞いて。あなたは朝が来たら私を置いてコトブキムラへ帰りなさい。野生のポケモンには十分気をつけてね。そしてキネちゃんのところへ行くの。きっとすべて分かってくれるはずだから」
自分の都合に巻き込んでしまったから、せめてミミロルだけでも助かってほしい。その一心ではこれからのことをミミロルに言い聞かせた。降り出した雪から守るように、生涯の別れを告げるように、強く強く抱きしめながら。
が生を諦めているとミミロルも察したのだろう。ミミロルはの首に抱きついて悲しげな声で鳴いた。思わずも涙がこぼれそうになるけれど、泣いてはいけない。泣けばきっと未練が生まれてしまうから。
どのくらい経っただろう、すっかり夜の帳が下りている。いつのまにか鳴き疲れたミミロルは眠ってしまったようだ。羽織の中に入れているから体温は下がっていないし、きちんと規則正しい呼吸をしている。もはや指先の感覚が無くなりかけているとは対照的だ。
無慈悲にも雪は降り続け、微かな熱で溶けてはの服や髪を濡らしていく。夜は越せそうにない。最後に見たミミロルの顔が泣き顔でなくてよかった。
の震える息が雪に混じって霧散する。ミミロルの愛らしい寝顔を目に焼き付けようとするけれど、瞼が重くて仕方ない。こんなに寒いのに眠たくなるだなんておかしいな。死を目前としているくせにの頭はやけに冷静だった。
視界が霞み、意識が薄れていく。ミミロルの未来が幸多いものであるよう願いながらが瞼を閉じようとした、その時。胸の中のミミロルがぴくりと反応した。の腕から抜け出そうと身をよじり、ぴょんと地に降り立つ。先ほどまで眠っていたのにどうしてしまったのだろう。ぼんやりとしたままがミミロルの方を見遣ると、そこにはポケモンが立っていた。
「あ……」
掠れた弱々しい声がの喉から漏れた。そのポケモンの身体は淡藤色の体毛に覆われ、真っ赤な瞳と長い鉤爪を持っている。その姿にはも見覚えがあった。目の当たりにしたのは初めてだが、テルに見せてもらったポケモン図鑑で、厳しい自然を生き抜く力に特化した身体的特徴に感心した記憶がある。あれはたしか、オオニューラ。その鋭い眼差しに睨まれたらポケモンも人間も動けなくなってしまうことだろう。ましてや、寒さで弱った人間なんて。
ミミロルはオオニューラと睨み合っているようだった。ともすれば一触即発の様相だ。けれどミミロルがオオニューラに勝てるとは思えない。タイプの相性も不利なうえ、コンディションは良いと言えないし、戦闘能力の差も大きいだろう。ミミロルを庇いたいのに凍えた身体は言うことを聞かない。は悔しさに歯を食いしばる。
「ミミロル、お願い。こっちに戻って来て」
精一杯の声でが名を呼んでもミミロルは頑として振り返らない。ミミロルだけでも助かってほしいのに。
頬を叩く吹雪が己の無力さを苛んでくる。それでも悔いの残ったままで終わらせてたまるものかと、は最後の力を振り絞って立ち上がろうとした——瞬間。ミミロルがくるくるとオオニューラの足元を駆け回り始めた。まるで何かを喜んでいるかのように。
は目を丸くして呆気に取られる。いったい、ミミロルは何をしているのか。オオニューラもちょろちょろと動き回るミミロルを目で追うのみで攻撃する素振りは見せない。戸惑うばかりののもとにミミロルが駆け寄ってくる。それからオオニューラの方を振り向いてひと鳴きした。オオニューラは小さく頷き、の前にのしのしと歩いてきた。間近にする鉤爪は毒々しい色をしていて、引っかかれたらひとたまりもないのだろうと恐ろしい想像を抱かせる。
オオニューラはじいっとを見つめた。は恐怖で身体を動かせないのに、美しい緋の瞳から目が離せない。雪の冷たさも痺れるほどの寒さも忘れて見つめ合っていると、オオニューラは背を向けてしゃがみ込んだ。その背には空の背負子が担がれている。人の手で作られたものらしく、縮こまればちょうどひとり入れそうな大きさだ。
「え……え?」
入れ、ということなのだろうか。があたふたしているとミミロルがそっと背中に触れてきた。大丈夫とでも言いたげににこにこ笑っている。
は崖壁に手を突いておずおずと立つと、足の痛みをこらえながら背負子の中へとおさまった。次いでミミロルもぴょんと飛び込んでくる。すっかり冷えてしまった矮躯を抱き寄せ、は背負子の蓋を閉じた。それとほぼ同時にぐんと身体が浮くような感覚をおぼえる。オオニューラが立ち上がり、歩き出したのだろう。背負子の隙間から遥か下に見える地面も、宙を漂うゴーストタイプのポケモンたちも恐ろしい。
オオニューラはその立派な鉤爪を崖に突き刺し、流れるようにするすると下っていく。ゴースやフワンテに気づかれて攻撃を仕掛けられても軽々と避けてみせた。オオニューラの動きに合わせて背負子が激しく揺れる。はミミロルと抱き合いながら、攻撃がオオニューラと背負子に当たりませんようにと願った。
やがてポケモンたちの鳴き声も聞こえなくなり、背負子の揺れも小さくなってきた。崖から離れて平坦な道を駆けているのだろうか。オオニューラの軽やかな足音や、草をかき分ける音しか聞こえない。どこまで行くのだろうか。が不安に思って外の様子をうかがっていると、こちらへ近づく足音が聞こえてきた。一瞬身構えたものの、耳を澄ませれば草履が地面に擦れる音がする。これは人間の足音だ。
「あれ、オオニューラ? カミナギの笛はまだ吹いていないのに、どうしてここに……」
ははっと息を飲む。聞き覚えのある男の子の声。テルだ。キネに言われて探しに来てくれたのだろうか。そしてテルの言葉からして、このオオニューラはライドポケモンなのだとは理解した。背負子を持っていたのもたちを襲って来なかったのも、それが理由なのだろうか。はカミナギの笛を持っていないけれど、テルの仲間だと分かるものなのか。
が考え込んでいるうちにも背負子はそっと地面に下ろされ、オオニューラが蓋を開けてくれた。テルがあっと声を上げる。
「さん、それにミミロルも! よかったあ、日が暮れても戻って来ないからとても心配していたんですよ!」
「ごめんなさい。崖の上に咲くキングリーフを採ろうとしたらポケモンに襲われかけて、落ちてしまって」
テルは安堵した表情を浮かべたのち、怒ったように目を釣り上げた。ひとりで無茶をして、どれほど心配したと思っているのかと言いたかったのだろう。が、の汚れた服や雪で濡れた髪、傷だらけのかじかんだ手を見て今はそれどころではないと感じたのか眉を下げた。
「正直、言いたいことは色々ありますけど……とにかくコトブキムラに帰りましょう」
「うん。探しに来てくれてありがとう、テルくん」
「そんなの……仲間なんですから、当たり前ですよ」
テルは背負子のそばにしゃがんで肩を貸してくれた。くっつけばテルの服も濡れてしまうだろうに、彼は嫌な顔ひとつしない。困っている人にもポケモンにも躊躇わず手を差し伸べてくれる。そんな彼だからこそ、団の隔てなく誰からも好かれるのだろう。
は支えられながら立ち上がり、そばで佇んだままのオオニューラへと視線を向けた。
「あのね、テルくん。最後にオオニューラへお礼を言わせてほしいの。この子、私たちの前に現れて助けてくれたから」
「そうだったんですか? さんはカミナギの笛を持っていないのに、不思議ですね……」
はオオニューラの瞳をまっすぐに見つめる。あれほど恐ろしいと思っていた鉤爪が命を救ってくれた。オオニューラが居なかったら間違いなくは死んでいただろう。
「ありかとう、オオニューラ。あなたのおかげで、私は生きてムラに帰ることができる。いずれお礼をさせてちょうだいね」
は懐から取り出した手拭いを雪で濡れたオオニューラの頬へ当てた。馴れ馴れしいと拒絶される可能性もあったが意外なことにオオニューラは心地よさそうに目を細め、されるがままになっている。
「そう遠くないうちにまた会いましょう。その時はテルくんも一緒にね」
オオニューラは小さく微笑み、頷いてくれた。冷酷そうな見た目に反し、存外人懐っこい子なのだろうか。もつられて笑顔を浮かべた。
「ですね。たぶんさん、しばらくはひとりでムラの外に出るの禁止されるでしょうし」
「……かなり心配をかけただろうから、それは仕方ないね」
きっと御冠であろう製造隊員やキネたちのことを思い、は目を伏せる。制止を振り切り、あれだけ大見得を切っておきながら結局迷惑をかけるとは。も第三者の立場ならば命知らずの大馬鹿者めと叱っていただろう。見通しが甘かった。それから自身の能力に対する評価が高すぎたのだ。叱責は受けて然るべきである。
「そろそろ行きましょう。怪我の手当てもしないといけないし、早く身体を温めないと凍傷になってしまいます」
「うん。……またね、オオニューラ」
は手を振り、オオニューラに再会を誓う言葉を投げかけた。後ろからついてくるミミロルも真似して手を振っている。オオニューラはほんの少し口角を上げると、闇に紛れて去って行った。きっと自分の寝床へと戻ったのだろう。
「おっかない見た目なのに、とても優しい子だね」
「ライドポケモンは普段から人間に力を貸してくれているので、人に対する警戒心が薄かったり気質が穏やかなのかもしれませんね」
それにしたって、オオニューラはどうやってたちの危機を察知したのだろう。ミミロルの鳴き声を聞きつけたのか、たまたま見かけたのか。確認する術は無いけれど、手を差し伸べてくれたのはオオニューラの優しさによるものだということだけは分かる。
はテルからオオニューラの好物を聞いたり、その生態について話をしながらコトブキムラへと亀の歩みで戻って行った。
◇◇◇
「だからあれほど気をつけてと言ったのに……!」
とテルは夜半——と言ってもほとんど朝になった頃にコトブキムラへと帰還した。心配からか寝ずに待ってくれていたキネに出迎えられ、ふたりで抱き合って大泣きしたものだ。その時の面影などどこへやら、今のキネは可憐なかんばせに怒りを滲ませ、医務室のベッドに寝かされているへ延々とお説教を続けている。
返す言葉も無いは苦笑いと「ごめんなさい」を繰り返すしかできない。その右足首には包帯がしっかりと巻かれている。骨は折れてこそいないけれど、しばらく日常生活に差し障りが出るだろうというのがキネの見立てだった。怪我をしてすぐにムラへ帰れず手当てが遅れたことも少なからず影響しているはずだ。
足首の怪我の他にも軽い凍傷と擦り傷が散見される。診察してもらっているあいだにキネの表情がどんどん険しくなっていって、は冷や汗をかいた。
「本当にごめんなさい。私、自分の力を過信してた」
の捜索に向かっていたのはテルだけではなかった。聞けば、もしかしたら天冠の山麓から移動しているかもしれないと、ギンガ団団長のデンボクから直々に命じられ各地に調査隊や警備隊までも派遣されていたらしい。キネも探しに行くと申し出たが、ムラの外に慣れていない医療隊であること、が入れ違いで戻って来たら出迎えてほしいと言われて残っていたとか。彼女の心配がどれほどのものだったか思い知らされる。
ムラ中の人たちにお詫び行脚をして、もはや平均的な人間の一生分の謝罪を口にした気さえする。けれど、命を落としたのではと懸念させてしまったことを思えば当然と言えよう。「生きていてよかった」と抱きしめてくれた人たちのあたたかさをは生涯忘れられないだろう。
「あなたが自分の仕事に一生懸命なのは知ってるし、そういうところを素敵だと思ってる。でも、“命あっての物種”という言葉を知らなかったとは言わせないわ」
「うん」
「絶対に寿命が5年は縮んだわよ。どうしてくれるの?」
「……ごめんね」
ミミロルだけでも生き延びてくれればいいと、一時は未来を諦めたことは口が裂けても言えない。涙を堪えるキネの白い手を握り、はまた謝罪の言葉を唇に乗せる。
「あとでデンボク団長とタオファさんがいらっしゃるそうよ。存分に絞られなさい」
「はい……」
「……それで、天冠の山麓はどうだったの」
あまりにもしょぼくれるを哀れに思ったのか、鼻をすすりながらキネは尋ねてきた。腕枕で眠るミミロルの頭を撫でつつ、は瞼の裏にオオニューラの姿を思い浮かべる。
「間近で見る時空の裂け目は恐ろしかったし、たくさん好戦的なポケモンが居た。でも、私を救ってくれたのもポケモンだったんだ」
「そうだったの。なんて言うポケモン?」
「オオニューラだよ。立派な鉤爪を持ってるポケモンなの」
毒の滴る鉤爪、鮮烈な赤の瞳。身のこなしは軽く、崖を素早く降りることもできればポケモンの攻撃も難なく避ける。敵ならば恐ろしいが味方になったらどれだけ心強いことか、は身を以て知った。
「今度お礼をしに行きたいの」
「そんなのダメに決まってるじゃない、性懲りも無い! ムラを抜け出そうものなら門番に止めてもらうからね」
「あっ、当然ひとりでは行かないよ。テルくんにもついて来てもらうから!」
「なんにせよ、怪我が完治するまでは絶対安静!」
布団を口元までかけられ、は押し黙った。ここまで叱られるのも友愛の裏返しだ。まだ腫れぼったいキネの瞼を見ると昨夜の泣き顔が思い出されるようで、はおとなしく枕に頬を寄せる。
テルたちのようにポケモンの調査をしてみたいと思うようになった——なんて言ったら、キネは卒倒するだろう。製造隊長のタオファにも大反対されることは想像に容易い。好奇心を抑えていられるうちは、テルに図鑑を見せてもらって心を満たそう。
調査をさせてもらえなくとも、怪我が良くなったらミミロルも連れてテル同伴のもと天冠の山麓へ行きたい。のその気持ちは変わらない。命の恩人であるオオニューラの好物をたくさん持って訪ねよう。ポケモンは恐ろしいだけの存在ではないのだと教えてくれたオオニューラにまた会いたい。
別れ際に見せてくれた笑顔。その記憶が薄れないうちに怪我が治りますように。商売のことも、このあとデンボクとタオファから雷が落とされることも忘れて、はオオニューラとの再会を夢に見ていた。
淡藤のあなた
20240422