「スズミちゃん、助けて」——友人のからそんなメッセージが届いたものだから、スズミはいつになく焦ってパトロール中だった街を駆けた。は遠出が好きではないから学園の近くにいるはず。けれど、それはあくまでも憶測に過ぎない。居場所を尋ねようとスマホを操作する時間すら焦れて、スズミは汗の滲んだ指先でモモトークの通話ボタンを押す。コール音が4回ほど鳴ったあと、「もしもし?」との声が聞こえてきた。その背後では何が起こっているのか分からないが、スマホのノイズキャンセル機能では誤魔化しきれないほどのがちゃがちゃと喧しい環境音までがスズミの耳に届く。
「スズミです。いったい何があったのですか。今はどちらに?」
「ええと……ゲームセンターにいるの」
「ゲームセンター、ですか。分かりました。すぐに向かいますので、安全な場所に避難して待っていてください。それでは」
「ん? あ、え——」
の戸惑ったような声は喧騒にかき消され、それに気づかないスズミは通話を終えるとゲームセンターに向かって駆けた。もしかするとは今、不良やチンピラに絡まれてしまっているのかもしれない。彼女らは個々の戦闘能力こそそれほど高くないが、人数が多ければそれなりに苦戦することもある。多勢に無勢。もしが怪我をしてしまっていたら——スズミはぎりりと歯噛みした。
早く、早くさんのところへ向かわなければ。
息を切らせ、額に滲む汗を拭うスズミを出迎えたのはボロボロになった——ではなく、大きなクマのぬいぐるみを抱いただった。
「スズミちゃん! 大丈夫!?」
は満身創痍なスズミの姿にあわあわと戸惑い、とりあえずこっちに、と手を引いてベンチのある場所へ彼女を案内した。非常階段の近く、自動販売機の設置されたそこは休憩スペースのようで、UFOキャッチャーやアクションゲームの音が遠くに聞こえる。
スズミは力尽きたように腰掛け、壁に背を預ける。身体が燃えるように熱かった。友人の危機に駆けつけるため、そこそこの距離を全力疾走して来たのだから当然だ。
は自動販売機で買ったミネラルウォーターをスズミに差し出す。喉の渇きに耐えかねてスズミがそれを半分ほど飲み干すと、身体の内側から冷やされたおかげか汗が徐々に引いていく心地がした。激しく鼓動していた心臓も普段のペースを取り戻しつつある。
スズミのことを心配そうに眺めていたは、落ち着いてきた彼女の様子に安堵し隣に腰掛けた。大きなクマのぬいぐるみをその腕に抱きながら。
「事情を説明していただけますか」
ようやく呼吸が整ったスズミが問うと、は苦笑いを浮かべる。
「ごめんね。私、スズミちゃんに誤解させちゃったかもしれない」
聞くところによると、は別に不良やチンピラと戦闘になったわけでもなければ危機に瀕していたということもなく、ただ困っていただけなのだという。ふらりと立ち寄ったゲームセンターで見かけたクマのぬいぐるみが可愛かったから、どうせ取れやしないだろうと思いつつ200円を入れたら見事にゲットできてしまった。けれど手に入れたらそれはそれで困りもので。大きなぬいぐるみをひとりで抱えて歩くのは恥ずかしくて、せめて誰か隣に居てくれたらと思いスズミにあのようなメッセージを送ったらしい。
「心配かけて本当にごめんね」
「いえ……さんがご無事で安心しました。それだけで十分です」
それにしても、とスズミはクマのぬいぐるみに視線を遣る。が両腕で抱えるようにしているぬいぐるみの大きさは、だいたい70センチくらいだろうか。ミルクティー色をした毛並みはとてもやわらかそうで、黒いボタンの瞳はつやつやと輝いている。首元に結ばれた赤いリボンが淡い色の身体によく映えていた。一言で表すならば——とても、可愛い。
「……あのさ、このぬいぐるみなんだけど」
ぬいぐるみの頭に顔の半分を隠されてしまっているがおずおずと話し出した。
「スズミちゃん、こういうの好きだったよね? もしよかったら受け取ってほしいなって……あ、ゲームセンターの景品とか嫌かな」
スズミは首を横に振る。その表情は穏やかに凪いでいたが、少しだけ不思議そうな色を含んでいる。
「そんなことはありませんよ。ですが、私が受け取ってしまってよろしいのでしょうか」
「どういうこと?」
「さんはこのぬいぐるみが欲しくてUFOキャッチャーをやったのでしょう。それなのに、私に譲っていただくだなんて申し訳なく……」
は目を丸くしたあと、がっくりと項垂れた。
「……真実をお話しします」
「はい?」
本当のところは、このクマのぬいぐるみを見かけた時に「スズミちゃんが好きそうだから、もし取れたらプレゼントしよう」と思ってチャレンジし、予想外にうまくいったということらしい。ただはそれを素直に伝えるのはなんだか照れくさくて、うまいこと誤魔化そうとしたのだけれど、どこまでもまっすぐなスズミにそんな姑息な手は通用しなかった。
スズミはふっと笑みを浮かべ、まあるい瞳で見上げてくるぬいぐるみの頭を撫でた。指が毛足に埋もれる。見た目に違わぬふわふわとした感触はまさしく夢見心地だ。
「本当に、可愛らしいぬいぐるみですね。私にいただけるのですか?」
「もちろん! スズミちゃん、いっぱい可愛がってほしいクマー」
はおどけながら、ぬいぐるみの両腕を持ってスズミに抱き付かせた。たっぷり詰められた綿のおかげで、しっかりとした質感がありながらも優しい抱き心地。抱きしめて眠ったら良い夢が見られそうだ。
「ありがとうございます。大切にしますね」
「うん……。へへ、よかった」
薄暗いゲームセンターの中でもよく分かるくらい、は嬉しそうに笑った。プレゼントを受け取ったのはスズミの方だというのに。
スズミに持ち帰られたぬいぐるみはベッドの枕元に座らされている。眠る支度を済ませたスズミはベッドに寝転がり、ぬいぐるみを抱き上げた。がくれたぬいぐるみ。愛らしい顔立ちにスズミの口元がやわらかく緩む。UFOキャッチャーの筐体の中に閉じ込められているぬいぐるみを見た時、はスズミのことを思い出してくれた。スズミの好きなものを憶えていてくれた。その事実がくすぐったくて、考えるほどそわそわしてしまって落ち着かないのに嫌ではない。
ぬいぐるみを抱きしめると、隙間がぴったりと埋まるような心地よさがある。スズミは瞼を閉じた。
ぬいぐるみのお礼をさんにしたいけれど、何がいいでしょうか。ちょっとしたお菓子か、カフェで奢るか、それとも……ああ、あれがいいかもしれない。
体力が尽きかけるまで走り回った疲れが色濃く残っているのだろう。考えているうちにスズミは眠りに就いていた。
◇◇◇
「……ねえ、そろそろ止めとかない?」
スズミのカバンを胸に抱いたが、困り顔で横から見ている。静かに首を横に振り、スズミは200円を投入した。
翌日。放課後になるとふたりは昨日来たのと同じゲームセンターに足を運んだ。というのもスズミから誘ったのだ。用があるから行きましょう、と。
いったいスズミは何の用があるというのだろう。不思議そうにしながらは姿勢正しく歩くスズミの後ろ姿を追いかけた。彼女が足を止めたのはがぬいぐるみをゲットした、あのUFOキャッチャーの前だった。のあとにもぬいぐるみを取った人がいたのだろう。ディスプレイに並べられている数は減っていて、フィールドには白いクマのぬいぐるみが転がっていた。首に結ばれたリボンは青色で、スズミがもらったものと色違いのようだった。
「昨日ぬいぐるみをいただいたお礼に、今度は私がさんにプレゼントします」——そう宣言してから、かれこれ15分。3本のツメはぬいぐるみをしっかりと掴むのに、アームが持ち上がった瞬間につるりと落ちてしまう。たまに落下口付近まで行くのがなんとも憎らしい。
「いえ。まだ諦められません」
スズミは真剣な眼差しでガラス越しにぬいぐるみを見つめている。けれどは内心ひやひやしていた。UFOキャッチャーが成功するかどうか、それはプレイヤーの巧拙よりも確率が影響する部分が大きい。累計でつぎ込んだお金が一定の金額以上になると、アームの力が強くなって目的の品をゲットしやすくなる。いわゆる確率機というもの。だからきっと昨日が一度で取れたのは、その前に遊んでいた誰かの無念のおかげ。つまりただの運というわけだ。
スズミは涼しげな表情ではあるが内心ムキになっているのか、ぬいぐるみがぽすんとフィールドに落ちるたびに小さく眉を寄せている。
「あと3回! それでダメだったら諦めよう、お金なくなっちゃうよ」
スズミは200円を取り出しながら、財布の中身をちらりと見遣り「……そうですね。そうします」と呟いた。
100円玉がふたつ、投入口に落とされる。可愛らしい効果音のあとボタンが点滅して、アームが動かせるようになったことを知らせた。スズミは緊張した面持ちでボタンを押す。さきほど失敗した時、斜めになってしまったぬいぐるみは狙うのが難しい。けれどうまいこと胴体の部分を掴むようにして、アームが持ち上がり——そのまま落下口まで! と固唾を飲んでいると、ぬいぐるみは再びつるり爪をすり抜け、とフィールドへ戻ってしまった。
すかさずもう一度、スズミの細い指が200円を投入する。今までで一番落下口から近い。運がよければアームが緩んだ拍子に落っこちたとして、その先が落下口になる可能性もあるだろう。……そう、運がよければ。
まばたきすら惜しんで、緋色の瞳がじっとアームの動きを追う。位置は完璧だ。ゆっくりと伸びていくアームを見守る。3本のツメはちゃんとぬいぐるみを掴んでくれた。ここまではこれまでも同じだったのだ、問題はここから。すっとアームが上がった時、ぬいぐるみは——落ちなかった。スズミは目を見開き、隣のが息を飲んだのが分かる。
そのままぬいぐるみは落下口の真上まで運ばれ、ぼすんとふたりの元へ落ちてきた。
「す……すっごい! やったねー!」
は興奮で頬を紅潮させて喜んでいる。スズミはようやく手に入ったクマのぬいぐるみを取り出し、乱れた毛並みを撫でて整えてあげた。それからぬいぐるみをの方へくるりと向ける。
「改めて……さん、このぬいぐるみを受け取ってください」
「私があげたのより、ずっとずーっと高くなっちゃったけど……。いいの?」
「はい。お金をかけたのは私が選んだことですから」
ぬいぐるみを撫でたり抱きしめるたびにのことを思い出す、少しむず痒い幸福感。それをにも知ってほしかった。スズミとふたりで筐体を覗き込み、ああでもないと頭を悩ませたこと。じりじりしながらぬいぐるみの行く末を見守ったこと。それから、無事に手に入れてふたりで喜び合ったことも。
スズミはからカバンを受け取り、そのかわりはスズミからぬいぐるみを受け取った。白くてふわふわの体躯をぎゅっと抱き、毛並みに頬を埋めては花の咲くような笑顔を浮かべる。
「すっごく嬉しい。ありがとう、スズミちゃん」
ああ、よかった。喜んでもらえた。
スズミはほっと胸を撫で下ろす。がスズミのためにぬいぐるみをゲットし、渡してくれた時も同じ気持ちだったのだろうか。
高揚感が冷めやらぬまま、ふたりはゲームセンターをあとにする。は寮に着くまでずっとぬいぐるみを抱きしめ、幸せそうに微笑んでいたのだった。
解けないリボンで結んで
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