ささめく恋心
「えっと……ホーム、こっちで合ってるよね?」

「はい! あ、ちょうど来る頃みたいです」

 Tライン、17時42分発、トリニティ自治区行き。電車がまもなく到着する旨を伝えるアナウンスが響く。ふたりはやけに低い階段をぱたぱたと駆け上り、黄色い線の内側で息を整えた。
 やがて線路の上を滑るように電車がホームへやって来る。ホームドアが開くと乗客の疎らな車内に乗り込んで、とヒフミは手近な座席に腰掛けた。今日一日歩き疲れた足をようやく休ませられる。
 発車メロディが鳴り終わりドアの閉まった電車がゆっくり動き出すと、ふたりは額を突き合わせて小声でおしゃべりを始めた。

「今日のモモフレ撮影会、とっても楽しかったですね!」

「そうだね。あんなにはしゃぐヒフミちゃん、初めて見たかも」

 ペロロに抱きついて幸せそうにしていたヒフミを思い出し、はくすくす笑った。スマホのカメラロールには今日撮影した写真がたくさん保存されている。
 ふたりはモモフレ撮影会なるものに参加するため、トリニティ自治区からD.U.の郊外にあるデパートまで足を伸ばした。モモフレンズ、特にペロロの大ファンであるヒフミの喜び様はかなりのもので、白い頬が今でもうっすらと紅潮しているほどだ。

「最高に幸せな時間でした……! ペロロ様とちゃんとのスリーショットも撮れましたしね」

 ヒフミも写真を見返して、やわらかく瞳を細めた。は撮影係として一緒に来たつもりだったのだが、「ぜひ3人で撮りましょう」とヒフミに言われ——スタッフからも「撮りますよ」と申し出られては、断れるはずもなく。ペロロを間に挟んでスリーショットを撮ったのだった。満面の笑顔でペロロに抱きつくヒフミと、少し困ったような笑みを浮かべるが写っている。

「この写真は一生の宝物です!」

「ふふ、そんなに?」

「はい! あとで私のスマホで撮った分を送りますね。あっ、そうだ、アズサちゃんにも送っちゃいましょう……」

 ヒフミと同じく補習授業部のアズサも、モモフレンズが好きなようだ。は彼女と直接関わったことは無く、ヒフミと仲が良いことくらいしか知らない。
 ヒフミはさっそくモモトークを開いて、アズサに撮影会へ行ってきた報告を打ち込んでいる。うきうきと楽しそうな横顔に、は胸の奥がほんの少しだけちくりと痛むのを感じた。今自分がヒフミと一緒に居るのに、遠く離れているように思ってしまうことがある。優しいヒフミにはたくさんの友達がいて、こうして出かけるのはだけではないのだろうなと想像して寂しくなってしまう。
せっかく楽しいお出かけだったのに、勝手に暗いことを考えて落ち込むだなんて。は頭の中から雑念を追い払う。当のヒフミはどの写真を送るか吟味しているようだった。は思い出したことがあり、ふと口を開く。

「そういえば、私が目を閉じちゃってる写真があると思うんだけど……」

「そうだったんですか? えーっと……これでしょうか」

「ちょ、タップしたら選択されちゃ……あー!」

 ヒフミは勢い余って、よりにもよってが目を閉じている写真をアズサへ送信してしまった。しかも速攻で既読が付いている。つい大きな声を上げてしまったは我に返り、何事かとこちらを見遣る乗客に頭を下げると、顔を赤くしてヒフミの肩を揺さぶった。

「やだやだ、送信取消してっ」

「そ、送信取消ってどうやるんでしたっけ?」

「えっと、画像を長押しして……」

 あたふたするヒフミに操作方法を説明しているあいだに、アズサから返信が来た。「すごく楽しかったんだな。ふたりとも良い笑顔だ」と。つまりはもう見られてしまったということか。けれどが目を瞑っていることを指摘するメッセージでなかっただけ幸いだ。もしそうだったらは恥ずかしすぎて、二度とアズサの顔を見れなくなっていただろう。
 急かされつつヒフミは先ほどの写真を取り消し、改めて一番ふたりの写りが良いものを送り直す。

「もー、ヒフミちゃんのおっちょこちょい!」

「えへへ……ごめんなさい」

「……ふふ、いいよ。ヒフミちゃんだから許すよ」

 眉を下げたとヒフミは顔を見合わせて笑った。
 そびえ立つビル群の合間から覗く夕日の橙色が車窓から射し込む。アズサからのメッセージに返信を打っているヒフミの、色素の薄い髪がきらめいていた。綺麗だ。彼女の横顔を見ていたが、不意にあくびを漏らす。

「眠くなってきちゃいましたか?」

「うん……。遠出したの久しぶりだったからなあ」

「まだ最寄り駅までは長いですし、寝てていいですよ」

 涙の滲む目尻を袖で拭い、は頷いた。

「そうだね……お言葉に甘えようかな」

「はい! 私が起こしますから、安心して寝てくださいね」

「うん。ありがとう」

 静かな車内、程よい揺れ、隣には気心の知れた友人。は瞼を閉じると、数分もしないうちに眠りに落ちた。



 すやすやと寝息を立てるはやがてヒフミの肩に寄りかかった。が愛用しているヘアコロンの香りが、微かにヒフミの鼻をくすぐる。それに少しどきまぎした彼女の手の中にあるスマホから通知音が鳴った。
 ヒフミが反射的に画面へと視線を落とせば、メッセージはアズサからのものだった。「大好きなと出かけられてよかったな」その文面に耳を赤くしたヒフミは、が起きていないかをちらりと盗み見る。……しっかり眠っているようだ。ヒフミはふう、と熱い溜息を吐く。

 モモフレ撮影会に行こうと誘ったのは、ヒフミの方からだった。二つ返事で頷いてもらえたのは嬉しかったけれど、付き合ってくれるにも楽しかったと思ってもらえるような日にしたいと考え、ヒフミなりに試行錯誤したのだ。時刻表と睨めっこして余裕のある行動スケジュールを組み、デパートでの撮影会が終わったら店内に見て回れる場所があるかどうか、軽く立ち寄れるカフェはあるのか、とか。ヒフミの調べ上げた内容は存分に活かされ、知らないうちにエスコートされていたは満足のうちに微睡んでいる。
 どうしてヒフミは他の子に声をかけず“ふたりで”行こうと誘ったのか。その意味も知らないまま。

 気づいてほしい、気づかないでほしい。行ったり来たりを繰り返す臆病な恋心。が眠ってしまっている今だけは素直になれる気がした。ヒフミはに寄り添い、こつんと頭をくっつける。きっと好きだと伝えるにはまだ早いから、一歩ずつ、着実に。

 ——いつか、気づいてくださいね。ちゃん。

 世界で一番好きな人たちと撮った写真を眺め、ヒフミは甘い微笑みを浮かべた。
 電車はまだまだ、最寄り駅に着きそうもない。


ささめく恋心
20240206