その日が来るまで
「ちょっとだけ待っててね」

 微笑みながらそう言ったが、軽やかなドアベルの音とともにカフェへと入ってから五分ほどが経った。お店の近くにあるベンチに腰掛けたニューラは手持ち無沙汰に足を揺らし、が戻るのを待っていた。その腕には紙袋がしっかりと抱えられている。
 ふたりはちょっとした買い物の帰りだった。何を買うかあらかじめ決めていたので、さほど時間もかからなかったけれど、せっかく外に出たのだからとは帰路に着くのを惜しんだ。何かないかと探していた時、行きつけのカフェの立て看板に書かれた期間限定ドリンクに心を惹かれ、荷物の番をニューラに任せて買いに行ったのだった。
 ニューラはパイルジュースが飲みたいとねだった。行き交う人やポケモンたちを眺めながら、あの甘酸っぱさと後味のほのかな辛さを思い浮かべる。パイルジュースはニューラの好物だ。ひと口飲めば、きっと歩き回った疲れも吹き飛んでしまうことだろう。

 鼻歌を歌い出してしまいそうなくらい上機嫌なニューラだったが、不意に一匹のクマシュンに目が留まった。顔を上げてきょろきょろとあたりを見回しては歩行者にぶつかりそうになっている。町に入り込んでしまった野生のポケモンなのか、トレーナーとはぐれてしまったのか。どちらにせよ、泣き出しそうに潤んだ瞳から困っていることは見て取れる。ニューラはぴょんとベンチを下り、クマシュンのもとへと駆けて行った。
 クマシュンは始め、ニューラの姿を認めて怯えた様子だった。けれどニューラがどうしたのかと尋ねれば敵意は無いと分かったのか、ついに涙をぽろりとこぼして抱きついてきた。聞けばクマシュンはトレーナーとはぐれてしまったらしい。この町には初めて来たので家までの道も分からず、当然ながら頼れる相手もおらず参っていたのだとか。
 じゃあ、一緒にトレーナーを探してあげる。ニューラがそう言うとクマシュンは瞳を輝かせた。その時ちょうどあのカフェのドアベルの音が聞こえてきて、ニューラはそちらを向く。両手にドリンクを持ったがお店から出てきているのが見えた。ニューラはクマシュンの手を引いて来た道を戻る。に向かって鳴いて呼びかければ、こちらに気がついたようだった。

「ニューラ! よかった、どこに行っちゃったかと思った」

 は安堵したように眉を下げたあと、ニューラが連れているクマシュンを見つけて目を丸くする。クマシュンは人見知りのきらいがあるのか、ニューラの背にさっと隠れてしまった。

「その子、どうしたの? もしかして迷子なのかな?」

 ニューラは頷く。するとはしゃがみ込み、ニューラの後ろから半分だけ顔を出しておずおずと見つめてくるクマシュンに目線を合わせた。

「もう大丈夫だから、安心してね」

 はゆったりと優しく笑いかける。クマシュンを落ち着かせるためだけではない、たおやかな人柄が表れたような笑みだ。それを見て信用に値すると思ったのか、クマシュンはたちまちの足に縋りついた。


◇◇◇


 きっと今頃トレーナーもクマシュンとはぐれたことに気づき、探しているはず。そうなればおそらく——これまで寄ったお店や道を引き返しているのではないか、というのがの考えだ。それをニューラが伝えれば、クマシュンはどの道を通って来たのか分からないけれど、トレーナーとどんなお店に入ったかは憶えていた。その答えを頼りにいくつかのお店を回れば、ちょうど店員にクマシュンを見なかったかと尋ねている少女が居た。抱き合うふたりをニューラとは微笑ましそうに見守る。

「あの、本当にありがとうございました」

 少女は恐縮しきりで、ぺこぺことに頭を下げた。「いえ、気にしないでください」と返すの足元では別れを惜しむように、クマシュンがニューラにぎゅっと抱きついている。少女はその様子を見て不思議そうにしていた。

「この子、人見知りなんです。それなのに、こんなに仲良しになってるなんて……」

「そうなんですか? もしかしたら、迷子のクマシュンを見つけたのがニューラだったから、心を開いてくれたのかもしれませんね」

 へえ、と感心の声を漏らしながら少女がニューラを見た。その視線は本人の持っていたニューラという種族に対する悪いイメージが払拭され、見直したとでも言いたげなものだ。喜ぶべきなのかもしれないが、色眼鏡で見られていたことを実感させられてニューラはなんだか居心地が悪い。
 クマシュンと「また会えたら遊ぼう」と約束をして、ニューラは別れた。少女とクマシュンが去って行くのを見送ってから、ニューラとは手近なベンチに腰掛ける。ニューラに手渡されたパイルジュースはプラスチックのカップに汗をかいていて、少しぬるくなってしまっていた。が楽しみにしていた期間限定ドリンク——クリームとチョコチップを乗せたホットのエネココアも同様だろう。はきっと期間限定という言葉に惹かれただけでなく、冷えた身体をあたためようとしてホットドリンクを買ったのだろうに。
 けれどはエネココアをひと口飲んで、幸せそうに目元を緩める。

「おいしい! 私、猫舌だからこのくらいの熱さがちょうどいいや」

 そう言って朗らかに笑うのことが、ニューラは大好きだ。


 「獰猛」、「ずる賢い」——ニューラという種族はそう評されることが多い。けれど、穏やかな性格のに育てられたニューラはとても心の優しい子だ。生まれた時から一緒に居るから似たのか、種族の性質よりも育ててくれた親の影響の方が大きいのか。迷子の人やポケモンを見かけたら迷わず助けに行くし、意地悪をするだなんて以ての外だ。

「本当にニューラは優しいよね。クマシュンを連れて来てくれてありがとう」

 は隣に座るニューラの頭を撫でた。その手のひらがあまりに心地良く、耳をぺたりと寝かせてニューラは瞳を細める。それから甘えるようにへと寄りかかって上機嫌に喉を鳴らした。
 迷子のクマシュンは無事にトレーナーと再会できて、に褒めてもらえたし、好物のパイルジュースはおいしい。ああ、幸せだなあ。ニューラが幸福を噛み締めていた時、不意に聞いたことのある声が頭上から降ってきた。

「あれ、さん。それにニューラも。こんにちは」

 ニューラの笑顔がひくりと引きつる。声の主はユキワラシを連れた気の弱そうな青年だ。

「こんにちは。お買い物ですか?」

「はい、ユキワラシのおやつを買いに。おふたりは休憩中ですか?」

「そうなんです。用事は済んだんですけど、まだちょっとぶらぶらしていたくて」

 よかったらどうぞ、とは席を詰めて青年たちに座るよう促した。遠慮して辞退するかと思いきや青年はの隣に腰を下ろす。なんでだよ。ニューラは口にくわえたストローにがじがじと歯を立てる。
 ニューラはこの青年のことが好きではない。嫌いだと断じないのは、彼を嫌うことに対して抵抗感があるからだ。罪悪感と言い換えても良いかもしれない。なぜならば青年は、少なくともニューラの知る限りは非の打ち所がないからだ。だけではなくニューラにも親しくしてくれるし、いやなことをされたりもしていない。それなのにどことなく気に食わないと思ってしまう。理由が無いのに嫌うだなんてよくないことだとニューラは自制しているのだ。もっとも内心など傍目からは分からないのだから、必要以上に厳格に己を戒めなくともよいものなのだが——本人の性格だろうか。
 ユキワラシを膝に乗せた青年はとおしゃべりに興じている。あーあ、早く終わらないかな。密かに青年を冷めた目で見つめながら、ニューラは青年たちと知り合ったきっかけを思い出していた。


 あの時もニューラが迷子のユキワラシを見つけて、それをに知らせたのだ。一緒にトレーナーを探していると、ユキワラシの名を呼びながら駆け回っている青年を見つけて。ありがとうございますと何度も頭を下げた彼は、数週間前にシンオウ地方から移住してきたばかりで知り合いが居ないのだと寂し気に言った。だからこそ、とニューラに親切にしてもらえて本当に嬉しかったと。そんな境遇に同情したのだろう。は「もしよかったら、何か困りごとがあればお力になりますよ」と青年と連絡先を交換した。それが始まりだった。

 青年はに好意を持っている、というのがニューラの見解だ。に寄越す連絡は相談よりも外出の誘いの方が多い。もちろんニューラも同行するのだが、と会話をしている時の青年の顔といったら。でれでれとしていて、明らかに恋をしている表情だと分かる。時折それとなくに恋人や好きな人がいないか探りを入れているし、あからさま過ぎるだろうとニューラは半ば呆れていた。一方では青年の思いに気づいていないか、気づかないふりをしている。根っからの親切心だけで接しているのか、そういった対象として見ていないのか。本心は分からないけれど、どちらにせよ今のところ好意に応える素振りは無い。

 いつのまにかパイルジュースは底をついていた。溶けかけて角の取れた丸い氷だけがカップの中にいくつか残っている。ぼんやりしていたニューラはそのことを知らずにストローを吸い続けてしまい、ずずっと音が鳴った。我に返ったニューラが、行儀の悪いことをしてしまったと肩を竦めているとがこちらを向いて笑った。

「あはは、飲み終わっちゃった?」

「あ、すみません。長話してしまって」

「大丈夫ですよ」

 青年は「それじゃあ、また」と手短に挨拶をするとユキワラシを膝から下ろし、会釈して去って行った。音を立てたのはわざとではなかったけれど青年を追い払えたので結果オーライだ。ニューラは朱の瞳で小さくなる後ろ姿をじっと見つめていた。また近いうちに会うことになるんだろうな。

「ゴミ捨てて帰ろっか」

 日が傾き始めて、風の冷たさが増してきた。はニューラの手からカップを受け取る。噛み跡のたくさんついたストローには気づいていないようだった。


◇◇◇


 ニューラは思う。なぜ自分は青年を受け入れられないのだろうか。あのへらりと腑抜けた笑顔をに向けているのを見るたび、胸の奥がもやもやして苛立つ。その感情がなんなのか掴もうとしても曖昧模糊としていて見当もつかない。
 ニューラはこんなふうに誰かを疎ましく思ったことは無かった。出会うトレーナーたちは口を揃えて「に似てるね」と言う。やっぱりポケモンってトレーナーに似るんだね、優しい子だね、と。それに対して、私に似たかは分からないけどと謙遜しつつも「そうなの、私のニューラすごく優しいでしょ」なんて、ちょっと得意げにが答えてくれるのが誇らしかった。
 それなのに、こんな気持ちを抱えていると知られたらに嫌われてしまうだろうか。ニューラは暗澹たる気持ちになった。

 もしもあの日、町に出かけていなかったら。ユキワラシを見つけたのがニューラではなかったら。が連絡先を交換していなかったら——。想像したところで意味など無いというのに、今とは違う状況になっていたのだろうかと考えてしまう。
 だっては、いつかあの青年を好きになるかもしれない。今はその気が無くても何かの拍子に恋心を抱く可能性は十二分にある。その時、素直に祝福できるだろうか。そこまで考えて、無理だなとニューラは思った。“の一番”が誰かに奪われるなんて耐えられそうにない。
 ——ああ、そうか。
 ニューラはなぜあの青年が気に食わないのか理解した。のことが大好きだから。青年は謂わば恋敵なのだ。ただ、はニューラを単に良きパートナーと認識しているし、青年もしばらく振り向いてもらえそうにないけれど。


 お気に入りのソファの上でしっぽの手入れをしていたニューラは溜め息を吐いた。彼がどれだけ想ったところでが同じ気持ちになってくれるとは限らない。むしろ種族の違いを考慮すれば可能性は低いと言える。あの青年でなくとも、はいずれ人間と結ばれるのかもしれない。

「ニューラ」

 名を呼ばれ、ソファの背もたれ越しにニューラは振り向いた。見ればは寝支度を済ませ、ベッドの中から手招きしている。いつもの就寝時間より少し早いが、歩き回った疲れのせいかその顔は眠たげだ。
 ニューラはぴょんとソファを下りる。ベッドまで駆け寄ればは瞼の重そうな瞳を細めて微笑んだ。

「おいで」

 ベッドに上ると、ニューラは言われるがままにぎゅっと抱きつく。は布団をかけると腕を回して抱きしめ返してくれた。
 ああ、幸せだ。ふたり分の体温であたたかい布団の中、ニューラは喉を鳴らす。こんな日常が永遠に続けばいいのに——先ほどそれは不可能であると気づいたばかりなのに、どうしてもそう思ってしまう。

 せめてが「おいで」と両腕を広げる相手が自分であるうちは、このまま甘えていよう。すやすやと規則正しいの寝息につられるかのように、ニューラも瞼を閉じた。


その日が来るまで
20240118