恋は思案の外

 あの人を、のことを好きになったのは、入学してすぐのこと。たまたま街で、迷子なのであろう子どもを優しく慰めて親探しを手伝う姿を見かけたのがきっかけだった。以来、鍛錬に励む真剣な姿や、修道院に住み着く野良猫や野良犬を構っている楽しそうな姿を目にして、惹かれていった。幸運なことに同じ学級だったので、講義の中で話すこともままある。俺は必死でに良く思われようと努力した。容姿はもちろん、言動や立ち振る舞いにも気を遣って、結果、冗談を言い合えるくらいには距離を縮められたのだ。俺はの中でもそこそこ仲の良い部類に入っていると、思う。
 今日はの誕生日だ。この日のために小遣いを貯めてブレスレットを買った。繊細な金のチェーンに、透き通った小さな宝石が繋がれている。友達に贈るには高価すぎる代物だが、俺はにこれを渡して告白をするつもりだ。「好きです、よかったら恋人になってください」何度も何度も頭の中で反芻した言葉。あまりにも今日のことを考えていたせいで、ここ一週間は全然講義に身が入らなかった。提出期限が迫っているというのに手付かずの課題もいくつかある。でも、いい。俺にとっては告白の方が重大で、優先するべき事項だからだ。
 講義の終了を告げる鐘が鳴る。俺は荷物をまとめてさっさと教室を後にした。化粧箱まで綺麗に包装してもらったブレスレットを取りに行って、あとは渡すだけ。緊張のせいか自然と歩調も速まる。自室に着いたら、ふと鏡が目に入った。ああ、髪が乱れている。ブラシでそっと撫でつけ、それから襟を正した。これで変なところはないはず。目当てのものを手にして部屋を出る。たしかは放課後、訓練場で鍛錬をすると言っていた。
 いよいよもって心臓がバクバクとうるさい。は喜んでくれるだろうか。どうか、あの澄んだ瞳に俺を映し、微笑んで頷いてほしい。祈りにも似た気持ちを抱きつつ、訓練場の近くを通りがかる。そこでちらりと彼女の影が見えた気がした。慌てて追いかけて捉えた後ろ姿はやはりだ。どうやら教室へ戻ろうとしているらしい。忘れ物でもしてしまったのだろうか。だが、こちらとしては好都合だ。放課後の教室に人がいることはほとんどない。何だったらそこで告白してしまってもいいくらいだ。俺はに距離をあけてついて行き、偶然を装って教室へ入ろうとした。
 しかし、それは叶わなかった。

「あれ……フェリクス」

 が俺以外の人の名を呼ぶ声がして、ぴたりと足が止まる。教室には先客がいるようだ。フェリクス……フェリクス=ユーゴ=フラルダリウス。無愛想な顔が思い浮かぶ。これから俺がしようとしていることを考えると、フェリクスがいなくなるまで待つしかない。馴れ合いを嫌う本人の性格からして、と談笑をすることもせずさっさと去るはずだ。タイミングを見計らうため、会話に聞き耳を立てる。

「なんだ、忘れ物でもしたのか」

「うん。髪に引っかかったピアスを外して、そのまま置き忘れちゃって。……あ、あった」

 はご丁寧にも「フェリクスも忘れ物?」と訊ねる。冷たくあしらわれるだけだから、やめておいた方がいいのに。……そう思う気持ちに少しの嫉妬心が混ざっていることは、認めよう。

「まあ、そんなところだ。……おい、こっちへ来い」

「いいけど、どうしたの?」

 フェリクスの返答が、態度が、思っていたのと違う。俺の知る彼はもっと容赦無く「お前には関係のないことだ」などと言い放つのだが。には気を許しているのだろうか。いや、まさか、フェリクスが気を許す異性なんて幼馴染のイングリットくらいなはず。贈り物を握る手に変な力が入った。

「もっと近くだ」

「え、でも、これ以上は……」

「いいから来い」

 なんだ、何をしている。
 俺は身を乗り出し、ドアの端から教室の中を覗き込む。がいつも座っている壁際の席、その横にふたりが向き合って立っている。その距離はクラスメイトにしては近い。胸の奥がざわざわと騒ぐ。

「……今日はお前の誕生日だろう。これをやる」

「憶えててくれたんだ。これ、ピアス? 綺麗……」

「気に入ったか」

「うん、とってもね」

 どうしてだ。フェリクス、お前は親しくもない女性に誕生日プレゼントを贈るようなタイプではないだろう。しかも、なぜよりによってなんだ。熱くなんかないのに、背中には冷たい汗がじっとりと滲む。最悪の予感が頭をもたげてきているのが分かった。

「ちょうど新しいピアスが欲しかったの。デザインも素敵だし……。ありがとう、大事にするね」

 うっとりとした嬉しそうな声。ああ、俺がプレゼントを渡した時にこんな風にお礼を言われることを、何度思い描いただろうか。どうしてこの言葉が自分に向けられていないのだ。

「今、試しに着けてみてもいい?」

「なら貸してくれ。俺が着けてやる」

「だ、大丈夫よ。自分でできるし……」

「いいから、貸せ」

 ふたりは少しの応酬の末、静かになった。微かに衣擦れの音が聞こえる。
 俺は想像し得る最悪の結末に取り憑かれ、鳩尾の辺りが気持ち悪くなっているのを感じた。そのくせ、止せばいいのに体は真実を確かめようと、教室の中を覗き込もうとしている。
 見慣れた風景が徐々に視界に広がる。机と椅子、それから——の後ろ姿と、向かい合っているフェリクス。静かになったのはやはり、フェリクスがの耳にピアスを着けてやろうとしているからだった。胸のざわめきが激しくなる。

「……くすぐったい」

「おい、動くな。うまく着けられん……」

「うん……」

 着けやすいよう横髪を掬い上げているが、耳たぶを触れられるくすぐったさに身を捩る。あんなの級友の距離じゃないだろう。だって、キスをする時と同じくらい近い。やめろ、やめてくれ。これ以上は見たくないのに縫い付けられたかのように目が離せない。

「できた?」

「ああ。思った通り、よく似合う」

「そ、そう? ありが……」

 が不自然に言葉を切る。それはまるで、急に口を塞がれたような——そう、キスをされたような。こちらから見えるのは、フェリクスがの顎を掬い、顔を近づけているところだけ。それでも分かる。キスをしているんだろう。

 これではっきりした。フェリクスとは付き合っている。そうでなくとも互いを想い合っている。現実を突きつけられた心地だ。もはや平衡感覚すらおぼつかない。ぼうっと見ていることしかできずにいる俺を、フェリクスの切れ長の目が一瞥した——気がした。

 瞬間、俺は耐えきれず踵を返した。のことを理解したつもりで、何も知らなかったくせに胸を張っていた己が情けなくて、恥ずかしくて。気がついたときには自室のベッドに倒れ込んでいて、プレゼントはどこかで落としてしまったらしく、無くなっていた。

「ちょっと、こんなところで……! 誰かに見られたらどうするの」

「ふん。いい虫除けになるだろうよ」

 翌日、俺の部屋の前には包装が少し汚れたプレゼントが置かれていた。誰が届けてくれたのかは考えないことにした。

恋は思案の外
20220924