徒花も咲かない
「無茶な戦い方はしないでくださいと、以前もお伝えしたはずですが」

 私の頬にできた傷へと当てがわれたガーゼ。それをサージカルテープで止めるセリナちゃんの指先は冷たかった。なるべく傷口を刺激することが無いようにと神経を張り巡らせているのが伝わってきて、怒気の籠った口調も相まって、私は肩を竦めるしかできない。きっとセリナちゃんが愛らしいかんばせを歪ませているのであろうことは、見ずとも分かった。

ちゃんだって痛みを感じないわけではないでしょう」

 服が汚れることも厭わず、床にしゃがみ込んだセリナちゃんは私の右脚を足置き台の上へと導いた。服で隠れていたって、傷がどこに出来ているかなんてお見通しってことね。私は大人しく黒いプリーツスカートの裾を引き上げて太ももを晒す。セリナちゃんは水を含ませた脱脂綿で血を拭き取り、傷に軟膏を塗りつけるとガーゼでそっと覆った。救護騎士団の名に恥じない手際の良さだ、なんて感心することすら失礼にあたるのだろう。最後に包帯をぐるりと巻かれて、私の太ももは大半が白に覆われた。

「大丈夫ですよ。どうせ明日には治りますから」

「そういう問題では……」

 セリナちゃんの言葉を遮るように保健室のドアが開く。ふたりしてそちらを見遣ると、入室して来たのはハスミ先輩だった。

、傷の具合はどうですか」

「大事ありません。手当てもしてもらいましたし、すぐ治ります」

 しゃべると頬の傷が開くのか鋭い痛みが走った。思わず顔を顰め、気休めにしかならないけれどガーゼの上から手のひらを当てる。これも眠るまでの辛抱だ。命に関わる重症でもないのだから、明日になれば傷は塞がって、跡も残さず綺麗に無くなる。まるで嘘のように。
 ハスミ先輩はそんな私を見て、ほんの少しだけ眉根を寄せたのが分かった。それからセリナちゃんに向き直って軽く頭を下げる。

「セリナさん、いつもありがとうございます」

「いえ。これが私の役目ですから」

 セリナちゃんはかぶりを振ると救急箱を閉じ、立ち上がった。つい「ごめんね」と口をついて出た私の言葉に、桃色の瞳が悲しげに細められる。そんな顔をしてもらう資格なんて私には無いのに。

、寮まで送ります」

「はい」

「くれぐれもお大事になさってくださいね」

 言外に「もう無茶をしないで」と念を押されていることに気づかないフリをして、私はセリナちゃんに小さく手を振った。きっと近いうちにまたお世話になることは分かっているから。


 保健室をあとにするとすっかり夜の帳が降りて、空は濃紺に染まっていた。足が痛む私を気遣ってかハスミ先輩は普段より歩調を緩め、肩が触れそうなほど近くを歩いてくれた。きっと私がふらついてもすぐ支えられるようにと考えてくれているのだ。長躯のハスミ先輩はその分コンパスも長い。のろのろ歩く私に合わせるだけでも焦れったいだろうに。
 あなたのそんなところがたまらなく好きで、同時にどうしようもなく残酷だと思うんです。

「今回は……トリニティ自治区で強盗団による襲撃事件があり、はその主犯を追っていたのですよね」

「はい。マシロちゃんも一緒に」

「……マシロからも聞きました。あなたが単独で主犯と対峙し、銃撃を受けたと」

 それで出来たのがこの傷だ。遮蔽物となるものもいくつかあったけれど、一対一ではもはや撃ち合いなのだ。弾をリロードしている時に足を数発撃たれ、痛みに膝をついた瞬間に頬を相手の銃弾が掠めた。それとほぼ同じタイミングでマシロちゃんが主犯を狙撃してくれて無力化に成功、なんとかその場は収まったのだが。事件が解決したから大団円、と終わらせてくれなさそうなのは明白だ。

「マシロちゃんは狙撃手ですから、私が先頭に立たないと」

「しかし、先頭に立つのはひとりでなくても良いはずです。人員が足りないのならば生徒を呼び出すべきでした」

「……そうですね」

 散り散りになって逃走する強盗団を追う時、複数に分かれるのは戦術として正しい。通報を受けた時、その場に居た最上級生は私だったから指示を出したのだ。まだ所属したばかりの子たちや戦力に不安のある子には主犯の配下たちを追ってもらった。主犯を狙うのは正義実現委員会の中でも屈指の実力を持つマシロちゃんと、一応それなりに戦う力はある私。ふたりなら増員するまでもなく大丈夫だとみんなが思ったことだろう。

 私だって、普通に戦ったらあんなチンピラごとき反撃を受ける間もなく一捻りだ。

「……お説教はここまでにしましょう」

 ハスミ先輩はこれ以上追及するつもりは無いようだ。それは私にとって願ってもないことだった。胸の内を正直に話してしまったら、私はもう正義実現委員会には居られない。居てはいけない人間になってしまう。

「あなたは正義感が強いから、己を顧みず飛び込むのでしょう。それは美徳でもありますが……私はとても心配なんですよ、

 ハスミ先輩は立ち止まって私の顔を覗き込むようにした。こちらも、私よりずっと背の高いハスミ先輩を見つめようと顔を上げる。
 艶やかな黒髪は闇に溶けるようで、黒を一滴混ぜたような深紅の眼は、いつか見たピジョンブラッドという宝石を思い起こさせた。華やかで人目を引く面立ちは街灯の明かりで陰影を濃くし、どこか寂しげだ。

 ハスミ先輩は本当に、綺麗な人だ。私の邪な企みに気がつかないくらい。もっとも、気づかれてしまうと不都合なのだけれど——それなのに、鉛でも飲み込んだように鳩尾のあたりがずんと重くなるのはどうしてだろう。

「……ありがとう、ございます」

 思わず目を逸らす。喉の奥から絞り出した声は掠れていた。
 ——大丈夫ですよ。分かっているでしょう。私もキヴォトス人ですもの。明日になれば顔の傷も足の傷もみんな治りますから。だから、今だけなんです。あなたに気にかけてもらえるのは。秀でた能力も好かれる魅力も無い、同じ委員会に所属しているというだけの縁で繋がっている一生徒ですから、私。正義感に突き動かされているんじゃないんです。ただ「心配してる」って、あなたのその言葉を聞きたいがために、他人を利用した自傷が止められないんです。

 こんな醜い本音はシスターにだって吐露できない。一生ひとりで抱えて墓場まで持っていくこと、それが代償だ。
 傷の痛みは引き始めている。私がもし先生のようにキヴォトスの外から来た人間だったら、怪我が完治するまで長くかかるのだろう。そしたらハスミ先輩にもっと心配してもらえたのかな。この期に及んでそんなことを考え至る自分に吐き気がする。
 ……ああでも、そんな脆い身体では正義実現委員会には入れないか。思ったよりもこの世界は釣り合いが取れるように出来ているらしい。報酬に対する代償が大きすぎる私の企みも、天秤の傾きを水平に戻そうと罪の意識が苛んでくる。

 沈黙のさなかにぽつぽつと会話を交わしながら、私たちは寮への道を行く。勉強はついていけているかとか、クラスメイトとはうまくやっていけているかとか、ハスミ先輩はまるで保護者のようなことを聞くなと思ったけれど、共通の話題が無いから当たり障りのない質問で場を繋ごうとしているのだろう。送ると言ってくださったのだって先輩として怪我をした後輩を放っておけないというだけで、きっとそこに私に対するハスミ先輩の私情はひとつも無い。全部全部分かっている。



 ハスミ先輩はわざわざ部屋の前まで着いてきてくださった。「ありがとうございます」と私が頭を下げようとしたのを制して、ハスミ先輩は小さく微笑んだ。

「今日はゆっくり休んでください。……あら?」

 ハスミ先輩は矢庭に私の背後へと視線を遣った。それに倣えば、私の部屋のドアノブに小ぶりな紙袋が引っかけられているではないか。真ん中には見覚えがある洋菓子店のロゴが印刷されている。手に取って中を覗くと小さな箱と共にメッセージカードが入っていた。
 「先輩へ。ケガをしたって聞きました。お大事にしてください。イチカ先輩と一緒にプリンを買ってきたので、これを食べて元気になってください。コハルより」少し丸みを帯びた、綺麗な字を書こうと苦心した形跡のある文字。可愛らしいピンク色のインクで書かれたメッセージは私の心をぐさりと突き刺した。

「……ふふ」

「コハルたちからですか。は慕われていますね」

 メッセージカードを覗き込んだハスミ先輩が、優しく表情を緩めてそう言った。

「……そんなこと、ないです」

「謙遜しなくていいんですよ。では、私はこれで」

「はい。お疲れ様です」

 ハスミ先輩の姿が見えなくなるまで見送ったあと、私は鍵を開けて自室に入った。「ふ、ふふ……」唇が震える。堪えていた涙が瞳からあふれた。私はコハルちゃんからの手紙を読んで嬉しくなったのでも、感動したのでもない。ハスミ先輩に気にかけてほしい、そんな私欲のためにいろいろな人を巻き込んでいる己の愚かさを突きつけられて気が狂いそうになったのだ。


 いつまで繰り返すの? どこまでいけば満足なの?
 分からない、満たされる日など来ないのかもしれない。

 私が正義実現委員会に入ったのは、なんのためだったんだっけ。


 ドアに背を預け、その場にへたり込む。私は膝に顔を埋めて子どもみたいに泣きじゃくった。負った傷が明日には塞がって無くなるように、この不毛な恋心も消え去ってしまえばいい。
 そしたらきっと、まだ何も知らなかった頃のように笑えるはずなのに。


徒花も咲かない
20240108

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