赤い糸を繋いでよ
 どこを見ているのか分からない焦点の瞳。クチバシからはだらしなく舌がはみ出ている。頭からは謎の毛? トサカ? が二本生えていて、不可解極まりない。
 ペロロという名前がつけられたそのキャラクターを私は可愛いと思ったことがないし、それはおそらくこの先も変わらないだろう。なのに今、この手の中にはペロロのマスコットがある。手のひらサイズのふわふわしたぬいぐるみ、その頭にはチェーンが付けられていた。タグには「カバンにつければ、いつでもペロロ様といっしょ!」だのと書かれている。その横にコミカル調で描かれたペロロの、なんとまあ、ぶさいくなこと。私はハサミを手に取るとプラスチック製の紐を断ち、タグとまとめてゴミ箱へ捨てた。
 チェーンに指を引っ掛けて、目の高さまでペロロを持ち上げた。見れば見るほどぶさいくで不気味さすら感じる。この表情は何? シメられる直前の顔? などと物騒なことを考えながらも、マスコットを通学リュックのどこへ付けるかまごまごしていた。しばし逡巡したのち、フロントポケットのチャックへと取り付けることに決めた。ペロロは明後日の方向を向いて間抜け面を晒している。パステルパープルを基調とした私のリュックには、ペロロのマスコットは些か……いや、かなり浮いている。
 どうするべきか。迷った私は机の引き出しを漁り、ペロロを少しでも可愛くできるアイテムを探し求めた。


 私はペロロに、というかモモフレンズにもさして興味は無いのだ。
 好きな人を否定する気は全く無いのだが、キャラクターデザインが私の好みとまったくの正反対というか。ウェーブキャットやスカルマンならまだ可愛いと思わなくも無いけれど、ペロロだけは……ペロロだけは逆立ちしても愛せない。
 ではなぜ好きでもないペロロのマスコットをわざわざ買って、あまつさえカバンに付けて登校しているのか。その理由は明確かつ狡猾なものだ。

 窓際から二列目、教卓から数えて四番目が私の席だ。クラスメイト数人と挨拶を交わし、机の上に乗せたリュックから教科書やノートを取り出す。無造作に横たわるペロロがこちらを見つめていることに気づいたので、伏せてやった。
 いつのまにかリュックの奥底に追いやられていたペンケースを救出し、机の上に置く。忘れ物はしてなさそうだ。中身がほぼ空になったリュックを机の横に掛けた時、ふと影が差した。

さん、おはようございます!」

「……おはよう、阿慈谷さん」

 私の左隣の席に座る、阿慈谷ヒフミちゃん。彼女は甘やかな色の髪をふんわりと揺らして会釈すると、小さく微笑んでくれた。私も精一杯の笑顔を浮かべてみせるけれど、たぶん、ヒフミちゃんの足元にも及ばないのだろう。
 ヒフミちゃんが登校して来るなり、彼女の周囲には複数の生徒がやってきておしゃべりを始めた。昨日のテレビについて、数学の宿題の答え、英語の小テストの範囲、新しくできたカフェ……。おしゃべりは止まることを知らず、時折楽しそうな笑い声が聞こえてくる。いいなあ、羨ましい。私もヒフミちゃんとおしゃべり、したいなあ。会話に割り込む勇気などあるはずも無く、私はスマホをいじって時間を潰していた。
 やがて始業のチャイムが鳴れば、皆一様に席へと戻っていく。担任が話す連絡事項を聞き流しながら、私は視界の端に映るヒフミちゃんのリュックを見遣っていた。ヒフミちゃんのリュックはペロロだ。あの白くて丸い体にそのままチャックやポケットをつけたような、なんとも不可思議なリュック。ヒフミちゃんはペロロを筆頭にモモフレンズが大好きなのだ。リュックだけではなく様々なグッズを集めているらしい。限定のペロログッズを手に入れるためならば、手段すら選ばないくらい好きなのだという。だから私は、リュックにペロロのマスコットを付けていれば、もしかしたらヒフミちゃんが話しかけてくれるのではないかと期待した。でも現実はそううまくいかない。ペロロのマスコット、1,650円は無駄になりそうだ。


◇◇◇


 私はヒフミちゃんが好きだ。
 きっかけは本当に本当に些細なもの。まだトリニティに入学したばかりの頃、私が落とした学生証を拾ってくれたのがヒフミちゃんだった。きっと彼女は憶えていないだろうけれど。

「あのっ、学生証落としましたよ!」

 ぽんと肩を叩かれ、少し驚きながら振り向く。立っていた女の子はやわらかく微笑むと、学生証を私に差し出してくれた。白い指先。綺麗に切り揃えられた爪はほのかな薄紅色をしていた。
 自分の胸元を見てみれば、ネックストラップの金具が不良品だったのか、学生証の入ったケース部分が取れてしまっている。落ちたそれを拾ってくれたのが、その子だったのだ。

「ありがとう。えっと……」

「阿慈谷ヒフミって言います」

「私は、です」

「素敵なお名前ですね! ネックストラップ、壊れてしまっているみたいなので、交換してもらった方がいいかもしれません」

 私の手のひらに学生証を乗せ、ヒフミちゃんは去って行った。「それでは」と小さく手を振り、背を向けたその後ろ姿が見えなくなるまで、私は動けなかった。優しくて、可愛い子。
 私は友達を作るのがあまり得意ではなく、クラスに馴染むまで時間がかかりそうで登校するのも気が重かった。それなのに、クラスも違う上に名前すら知らなかった私に笑顔で声をかけ、助けてくれたヒフミちゃんはまるで天使のように見えた。おそらく、一目惚れでもあったのだと思う。
 その穏やかで優しい性格から、ヒフミちゃんはたくさんの人に慕われていた。私が近づくことなんてできっこない。せめてクラスが同じだったなら、少しはチャンスがあったかもしれないのにな。

 ——そんな私の願いを神様が聞き届けてくれたのか、なんと進級に際して同じクラスになることができたのだ。それだけではない。先日の席替えでは隣同士にまでなって、私はとても浮かれていた。だから衝動的にペロロのマスコットを買って、あわよくば気づいてくれたヒフミちゃんとおしゃべりできないかな、なんて淡い期待を持ってしまっていたのだ。


◇◇◇


 授業を受けているあいだに私はペロロのことなど忘れていて、いつもと変わらないつまらない一日が終わるはずだった。
 今日も疲れた。早く帰ろう。寮で生活している人が多いトリニティ生の中で、私は数少ない自宅通学だ。リュックを机の上に乗せ、教科書やノートを詰め込んでいく。今日は親の帰りが遅いから、どこかへ食べにでも行こうかな。そんなことを考えながらチャックを締めた。

「あ、あの、さん」

 心臓がびくりと跳ねた。聞き間違えるはずもない、ヒフミちゃんの声。瞬間、背中に正体不明の熱が広がって、体温が二度ほど上昇した気がした。おそるおそるヒフミちゃんを見ると、少しだけ固い表情の彼女は身体ごとこちらを向いていた。

「えっと……どうしたの?」

「それ、ペロロ様のマスコットですよね!? このあいだ発売されたばかりの!」

「あ……」

 すっかり失念していた。ヒフミちゃんが瞳を輝かせながら身を乗り出す、その視線の先には私のリュックに付けられたペロロのマスコットがある。そうだ、付けてきていたんだっけ。ペロロに興味など無い私は当然ながら発売されたばかりのものとは知らなかった。このくらいのサイズなら邪魔にならないし気づいてもらいやすいかも、程度の考えで手に取っただけだ。

「しかも、リボンでおめかしまでしてあげてるんですね……! リュックとお揃いの色で可愛いです!」

「あは、ありがとう……」

 ペロロの毛だかトサカだかよく分からない部分の根元には、ヒフミちゃんの指摘通り、私のリュックと同じパステルパープルのリボンが結ばれている。ペロロを少しでも可愛くできないかと、しばらく使っていない裁縫箱に入っていたリボンを着けてやったのだ。効果のほどはあまり……感じられなかったけれど、ヒフミちゃんには高評価らしい。
 あれほど焦がれたヒフミちゃんのきらきらした眼差しが、今私だけに向けられている。嬉しくて仕方ないのに、私は髪をいじったりペロロのお腹を指でつついたり、落ち着かない。挙動不審だと思われたらどうしよう。話しかけてもらえた時の会話のシミュレーションも、ペロロを始めとするモモフレンズの設定も頭に叩き込んできたのに、全然ひとつも思い出せない。

「……本当は朝、登校した時に気付いてたんです。ペロロ様だ! って。でもなかなか話しかけられなくて……」

「そう、だったの?」

「はい。だから今、話せてよかった。それにさんがペロロ様のファンだって知れて、嬉しいです」

 それは違うよ。私はペロロのファンじゃないし、可愛いと思ったこともない。ヒフミちゃんの気を引きたいがためにマスコットまで買って、そのくせ自分から行動しないで話しかけてもらうのをひたすら待つ、意気地無しの気持ち悪い女なんだよ。
 ——なんて、口が裂けても言えない。ふわふわのマシュマロみたいに甘い微笑みを浮かべながら、ヒフミちゃんはペロロについて熱弁を振るう。私はそれに対して相槌を打ちながら、この時間がずっと続けばいいのにと叶わない願いを胸に抱いた。

「……そうだ! 今度、モモフレンズとクレープ屋さんがコラボするんですよ。それでコラボグッズが出るんですけど、ラインナップにはもちろんペロロ様もいて……」

 ヒフミちゃんはスマホを操作し、クレープ屋さんのホームページを開いて私に見せてくれた。なんでも、コラボメニューのクレープを買うと限定イラストのアクリルキーホルダーがもらえるらしい。ペロロはフルーツやクリームと共にクレープで巻かれていた。その頭にはさくらんぼが乗っている。どこからどう見ても、やっぱり、ぶさいくだった。

「コラボは来週から始まるんですけど……よかったら、一緒に行きませんか?」

 小さく首を傾げながらヒフミちゃんが口にした言葉を理解するまで、数秒を要した。私と、ヒフミちゃんが、一緒にクレープ屋さんへ行く?
 頬に熱が集まって、手のひらに汗が滲むのが分かった。これは夢だろうか、まさかヒフミちゃんから遊びに行こうと誘ってもらえるだなんて。
 押し黙ってしまった私を見て、断る言葉を探しているのだと思ったらしい。ヒフミちゃんはしゅんと眉を下げた。

「すみません、急なお誘いでしたよね? 私……」

「ううん、行きたい! その、予定も無いし……阿慈谷さんとクレープ屋さん、行きたい……」

 慌てたせいで思いのほか大きな声が出て、はっと我に返る。ヒフミちゃんは一瞬目を丸くしたあと、お花の蕾が綻ぶみたいに笑った。胸の奥がぎゅっと苦しくなる。

「よかったあ。じゃあ、連絡が取りやすいようにモモトークのIDを交換しませんか?」

「うん、いいよ」

 震える手でスマホを取り出し、ヒフミちゃんが映してくれたモモトークのQRコードを読み取る。表示された“阿慈谷ヒフミ”のユーザーネームとアイコン。その下に出ている追加ボタンを迷うことなく押した。

「今、追加したよ」

「……はい、私の方もさんを追加できました! えっと、何かスタンプを……」

 ヒフミちゃんが言い終わらないうちに担任が教室へ入って来て、ホームルームを始めた。当然のように内容など頭に入ってこない。ヒフミちゃんと話せただけじゃなく、クレープ屋さんに行く約束もできたし、モモトークの友だちにまでなってしまった。やっぱり夢だろうか。たとえ夢だとしても、幸せすぎて許せてしまいそう。念のため太ももを抓ってみたけれどちゃんと痛かったから、これは現実だ。嬉しくて仕方ないのになぜだか涙が滲んできて、前髪を直す振りで拭った。
 ホームルームが終わると教室は一気にざわめく。いまだに地に足がついていないような感覚のまま、私もリュックを手に席を立つ。

「あっ、さん。さようなら、また明日!」

 ヒフミちゃんはまだ帰り支度をしていなかったらしい。ペロロのリュックに教科書を入れながら、私に挨拶をしてくれた。

「うん。また明日ね、阿慈谷さん」

 私はヒフミちゃんに小さく手を振って、教室をあとにした。
 まるで雲の上でも歩いているかのような足取りで、ヒフミちゃんとの会話を何度も頭の中で反芻しながら家路についた。
 誰も居ない家に帰ると一目散に自室へ戻り、リュックを机の上に置いた。その拍子にペロロのマスコットが揺れる。よく見ると頭のリボンが取れかかっていた。何も考えずただ結んだだけだったから、あとで縫っておかないといけない。お裁縫は全然得意じゃないけれど、ヒフミちゃんが可愛いと褒めてくれたんだから。

 ペロロはどうあがいても好きになれないけれど、間違いなく私の恋のキューピッドだ。ねえ、あんたのおかげでヒフミちゃんと少し近づけたよ。ありがとう、と呟いてその頭を指先で撫でてあげた。
 その時、制服のポケットに入れていたスマホから軽快な通知音が鳴った。モモトークだ。誰からだろう、と思いながらアプリを開くとチャット一覧の一番上に表示されていたのはヒフミちゃんの名前だった。不意打ちに心臓が止まりそうになりつつ、おそるおそるトーク画面を開く。
 そこにはスタンプがひとつ、投稿されていた。「よろしく!」の文字と共にウインクして星を飛ばすペロロのイラストが描かれたスタンプ。ぶさいくな顔も一日中見ていたら慣れるものなのか、なんだか少しだけ、可愛いかもしれないと思ってしまった。少しだけね。


赤い糸を繋いでよ
20231230
20240108一部修正