太陽が顔を出し、そろそろ人が起き出す時間に差し掛かった頃。朝露に濡れた草花の香りが清々しく漂う西3番エリアをヘルガーは歩いていた。
鋭い爪の生えた足が地を踏み締めるたび、野生のポケモンたちは怯えてそそくさと姿を消した。そのうちの一匹であるタマンチュラは近くにあった木の上に登り、そうっとヘルガーの様子を窺う。頭から生えたふたつの立派な角。骨のような禍々しい装飾と、視線を向けられるだけで震え上がってしまうような緋色の瞳。不機嫌そうに結ばれた口は、ひとたび開けば毒素の混じった炎を吐き出すか、よく尖った牙で噛み付かれるかのどちらかだ。
ああ、なんて恐ろしいポケモンなんだろう! タマンチュラはぶるりと身体を震わせ、木の葉の陰に姿を隠した。
対するヘルガーは恐れをなして去っていくポケモンたちには目もくれず、悠然と歩いていた。向かうは自分のトレーナーが待つチャンプルタウン。ヘルガーは何もポケモンたちを怖がらせたり、ましてや無闇やたらと戦うために彷徨い歩いていたわけではないのだ。ひんやりと涼やかな空気を胸いっぱいに吸い込み、朝日に目を細めながら散歩をしていただけ。しかしそれが睨みを利かせているように見えてしまうらしく、ヘルガーの前を立ち塞ぐどころか横切るポケモンすら居なかった。
はやおきの特性を持つヘルガーは、まだ夜も明けきらない早くに目を覚ます。トレーナーが起きるまでじっと待っているのも良いけれど、たまに気が向くと散歩へ出かけているのだ。時間を潰すためと、あとはチャンプルタウン周辺に異常が無いか見回るためでもある。ヘルガーは戦いの経験もなかなかのもので、襲われたとしても大概のポケモンは軽くいなすことができてしまう。もっとも、ほとんどはその姿を一目見ただけで逃げ出してしまうから、散歩をしている時にわざを使ったことすらないけれど。
モンスターボールを模した白い看板と赤い屋根が目に留まる。チャンプルタウンの入り口にあるポケモンセンターだ。その付近によく知る人物の姿を認めて、ヘルガーは長いしっぽを揺らしながら駆け出した。
「ヘルガー!」
足音に気が付いたのだろうその人——ヘルガーのトレーナーであるは振り向くと笑顔で腕を広げ、しゃがみ込んだ。待っていてくれたのか。ヘルガーは迷うことなくの胸へと飛び込む。勢い余っては軽く尻餅をついたが、しっかりとヘルガーのことを抱きしめた。
「おかえりなさい、楽しかった? ……あはは、もう! くすぐったい!」
ヘルガーがぺろぺろとの顔を舐めるものだから、はお返しとばかりに今度は彼の頬を両手で包み込む。そのまま優しく撫でられるとヘルガーは心地よさそうに目を閉じて、喉の奥からはぐるると唸り声に似た音が聞こえてきた。以外の人が耳にしたら、まさか怒らせたのではないかと思ってしまうかもしれないけれど、これは気分が良い時に喉を鳴らすヘルガーの癖である。
あらゆるポケモンに恐れられるヘルガーも、にとっては大切で可愛い、唯一のパートナーだ。その愛情を一身に受けて育ったヘルガーがにべったりと懐いているのも当然と言える。彼自身も、どんなにポケモンや人間に忌避されようとが愛してくれるのならそれでよかった。
はスカートの汚れを払って腰を上げる。ヘルガーが甘えての足に擦り寄ると、頭を撫でてくれた。
「家に戻ろっか。朝ご飯も用意できてるからね」
はヘルガーの好きなチョリソーを使ったサンドイッチを作ってくれたのだという。起きてすぐ散歩に出たためお腹が空いていたヘルガーはしっぽを振って喜んだ。と、同時にあることを思い出して動きを止めた。
「あれ。ヘルガー、何か持ってる?」
もそれに気づいたようで首を傾げている。確かにヘルガーは尾の先で巻きつけるようにして、あるものを持っていた。そうだ、忘れないうちに渡さなければ。ヘルガーはそれをの方へ近づける。
「これ……」
しっぽが緩むと、の手のひらに小ぶりな白い花がぽとりと落とされた。ヘルガーが散歩の途中で見つけた野花だ。その花の名前こそ知らないものの、一目見た時に綺麗だと思ったからに見せたくて摘んできたのだ。
ささやかで可愛らしいプレゼント。はやわらかく微笑んだ。
「すごく嬉しいよ、ありがとう」
「せっかくヘルガーにもらったプレゼントだから、押し花にして大事に取っておこうかな」とが喜ぶ姿に、ヘルガーも満足げだ。
「ねえ、今度は私も一緒にお散歩したいな」
その言葉にヘルガーはぱちっと目を見開いた。ヘルガーは自然と未明に起きる習慣がついているけれど、対するは早起きがあまり得意ではない。起こしたら悪いだろうとヘルガーは家を出る時に細心の注意を払っているくらいだ。早起きできるのか? と心配そうにしているヘルガーを、は「大丈夫!」と制した。
「頑張って起きるから。でも、もしダメだったらヘルガーが起こしてね」
もちろん。ヘルガーは元気よく鳴いて答える。その声は地を這うように低く、そばを歩いていたトレーナーの連れているヨクバリスが驚いてきのみを落としていた。
◇◇◇
草を踏む音で目が覚めた。木の上で丸くなって眠っていたタマンチュラは大きなあくびをして、身体を起こす。誰かが近くを歩いているようだ。眠たい目を前足で擦って音のする方を向くと、タマンチュラはぎょっとした。この間見かけたヘルガーだ。しかも今日は人間まで一緒である。おそらくヘルガーのトレーナーなのだろう。少し眠たげに見えた。
いったい何をしに来たのか。まさか手当たり次第に野生のポケモンたちと戦い、辺り一帯を火の海にしようと……? タマンチュラは縮み上がり、どうか見つかりませんようにと必死で祈った。
しかしヘルガーは炎を吐くどころか、野生のポケモンたちに構うことなく人間の周りをぐるぐる回っている。タマンチュラは目を凝らした。何やらとても楽しげな表情ではしゃいでいるように見える。そうして人間にじゃれつきながら歩いていたヘルガーは何かを見つけたのか急に駆け出した。
もしや獲物を発見したのか……? タマンチュラがこわごわとその先を目で追うもそこにポケモンの姿は無く、代わりに可憐な野花がいくつも咲いていた。人間もヘルガーに追いつくと足元の小さな花に気づいたらしい。しゃがみ込んだ人間に寄り添い、ヘルガーも一緒になって花を愛でていた。
歩く姿を目にするだけでも恐ろしかったのに、こうして見ると人間のことが大好きな普通のポケモンだ。まあ、襲ってこないのならそれでいい。タマンチュラはふたりが笑い合う姿を一瞥し、二度寝しようと再び身体を丸めて瞼を閉じた。
朝日を追いかけて
20231210