旅を始めた頃は、まさか自分がシュートスタジアムに立つだなんて考えてもいなかったな。
ここはシュートスタジアムの控え室。袖を通しているユニフォームとお揃いのデザインの靴を見ながら、そんなことを思った。ガラル地方で一番の強さを誇ると皆が口々に讃えるチャンピオン。憧れたことはあれど、その座を奪おうと対峙する自分の姿を想像したりはしなかった。強さに興味が無かったわけではないのだ。ただ、私にとってのチャンピオンは言うなれば天上の存在のような……住む世界が違う、立っている場所が違うと思っていたのかもしれない。もちろんそんなのは私の思い込みだ。肩書きにチャンピオンが付加されただけで、根は私と同じポケモントレーナーなのに。そう気づくことができたのは、私がチャンピオンに迫る強さを得ているからだと自惚れても良いのだろうか。
チャンピオンカップ、ファイナルトーナメントを勝ち進んだ私はいよいよチャンピオンと対戦する。これまで戦ったトレーナーたちも無比の強さを誇っていたけれど、チャンピオンはそれすら超えてくるのだろう。
私は膝の上に乗せたカバンからひとつ、モンスターボールを取り出した。赤と白、ふたつを隔てるように敷かれた黒のライン、その真ん中に位置するボタン。ポケモントレーナーならば毎日目にする、この世で最も一般的なモンスターボールだ。細かな傷が散見されるのは波瀾万丈な旅をしてきた証。たくさんのことを思い出して緩む口元もそのままに、私はそのボールを宙に放った。姿を現したのは私のパートナー、エースバーンだ。ベンチに腰掛ける私の前に立つエースバーンはいつものように明るくにこりと笑った。
「ねえ、私たちいよいよチャンピオンと戦うんだよ」
控え室にいても響いてくる歓声が、私とチャンピオンの戦いに大きな期待を膨らませているのが窺える。もし私があっさり倒されちゃったらブーイングとかされるのかな。なんて、そんな簡単に倒されるつもりはないけれど。
だって、私たちは目の前に立ちはだかる壁を何度だって超えてここに居る。経験に裏打ちされた自信が、負けるかもしれないだなんて考えすらかき消してくれた。
「……憶えてる? 初めて会った時のこと」
たまごからかえったばかりの小さなヒバニーは、私を見るなりぴょんと跳ねて抱っこをせがんできて。ポケモンに嫌われたらどうしようと不安に思っていたかの日の私は、その人懐っこさに心を奪われた。この子にする、とすぐに決めて旅に出て……ああそうだ、「たくさん歩くんだから履き慣れた靴で行きなさい」と助言をしてくれた母に逆らって「せっかくの門出なんだから新しい靴を下ろしたい」と新品のスニーカーで出発したら、すぐ靴擦れしてしまって。出鼻を挫かれた、幸先が悪いと落ち込む私をヒバニーが慰めてくれたんだっけ。あとは、タイプ相性すらうろ覚えで指示に自信を持てなかった時でも言うことを聞いてくれたし、ラビフットに進化してからはキャンプ設営やカレー作りのお手伝いも率先してやってくれるようになった。それから、エースバーンに進化してからは一段と息が合うようになり、より相棒らしくなったと思う。アイコンタクトだけでエースバーンがどう戦いたいのか、私がどんな指示を出そうとしているのか、互いに伝わっていたから。きっと二回の進化を経るまでに過ごした時間の積み重ねと、築いた信頼の大きさによるものだろう。
本当に、ずっと一緒に居たから。
「ふふ。しんみりするのはまだ早いよね」
チャンピオンに勝つ。勝って、私とエースバーンが王座に座る。それはチャンピオンの地位を得るためでも、ガラル中から褒めそやされるためでもない。私たちの旅路が行き着く果てを見たい。そこへ辿り着くにはチャンピオンを打ち負かす必要があるから、それだけだ。
「そろそろ行こっか」
心の準備はできた。あとはバトルコートに立てばファイナルバトルの始まりだ。
ベンチから腰を上げようとすると、エースバーンが手を差し出してくれた。そのあたたかい手を取って立ち上がる。互いに目を合わせたまま、どちらからともなく破顔した。一世一代のチャンピオン戦だというのに、びっくりするくらいいつも通りの私たちだ。
「いつも通り、私たちの全力を尽くそうね」
全力を尽くせば結果は自ずとついてくる。そしてそれが勝利であると私たちは確信していた。
エースバーンをモンスターボールへと戻し、私は割れんばかりの歓声と拍手に導かれながらバトルコートに足を進める。スタジアムには何百、何千……いや、何万人もの観客が居た。私が姿を現すなり、観客たちは地響きのごとくざわめく。それは同時に向かいからチャンピオンが入場してきたからでもあった。
チャンピオンだって易々と頂点から退くつもりはないのだろう。私を見つめる瞳には闘志がみなぎっていた。テレビや雑誌のインタビューなんかで見せる朗らかな笑顔とは対照的。だけど望むところだ。私だってチャンピオンを負かすつもりでここに来たのだから。
緊張感に肌がひりつく。モンスターボールを握る手が武者震いする。このバトルはきっと私がこれまで経験してきたものとは一線を画すのだろう、そんな予感がした。
バトル開始の合図とともに私はモンスターボールを投げた。
青い光がきらりと弾ければ、先ほど笑い合ったエースバーンが私に背を向けてバトルコートへと降り立つ。それから彼はこちらを見て、任せてほしいと言うように強くうなずいてくれた。姿形は変わったけれど、燃え盛る炎と同じ色の瞳は変わらない。いつだって私を奮い立たせてくれる眼差し。
私はうなずき返して、チャンピオンと対峙した。
王冠に手を伸ばす
20231115
剣盾4周年おめでとう