ひだまりの頬
 ひまわりの丘。
 その名の通り、夏になるとたくさんのひまわりが花を咲かせる場所。とキマワリはそこへ足を運んでいた。
 どこまでも続く空は真っ青な色をしている。そしてそこに浮かぶ大きな入道雲、じりじりと迫る暑さを際立たせるようなセミの鳴き声。肌を晒している部分は強い日差しを受け、日焼け止めを塗っていても少しひりつく気すらする。
 汗の滲む首筋をハンカチで押さえ、は微笑む。

「ねえ、憶えてる?」

 太陽を見上げていたキマワリはの言葉に反応し、しっかりと手を繋いでいる彼女の方を向いた。

「あなたがヒマナッツだった頃にも、ここへ来たよね」


◇◇◇


 ふたりが出会ったのは数年前のこと。当時キマワリはまだ進化しておらずヒマナッツだったし、も子どもだった。
 ヒマナッツはある日突然、空から宅の庭へ降ってきたのだ。庭から聞こえた大きな音にが興味を示して出てみると、丸い瞳をきょとんとさせたヒマナッツがいた。が近づくと表情を固くさせたけれど、攻撃もしてこなければ逃げることもしない。というより、できないのだ。ヒマナッツはとても非力なポケモンで、襲われても頭の葉っぱをふりふりするくらいしか抵抗する術を持たない。
 野生のポケモンに狙われたらひとたまりもないであろう。そんなヒマナッツをは幼心にも放って置けなかった。だから、パートナーポケモンすらまだ与えられていないのに、

「うちの子になりなよ!」

 と、ヒマナッツをスカウトしたのだ。かたや、見知らぬ人間に捕まったヒマナッツは恐ろしさのあまりぷるぷる震えていた。うちの子って何? そもそもあなたは誰ですか? と。
 しかし家に入れてあげようとしたに抱きかかえられても、ヒマナッツにはぴいぴい泣きながら必死に葉っぱを振るしかできない。あまりのか弱さを同様哀れに思ったのか、家で暴れ回らないのなら構わないと思ったのか。両親はを咎めなかった。むしろヒマナッツのお世話に奮闘するを微笑ましそうに見守っていた。ヒマナッツが勘弁してくださいよと思っていたことも知らずに。
 しかし、初めはを警戒していたヒマナッツも日が経つにつれて心を開いていった。「何だったら食べられる?」と様々なきのみやおやつなんかを用意してくれて……実際にはヒマナッツは朝露しか口にしないのだが、それでもの真心はよく伝わった。悲しげに潤むだけだったつぶらな瞳が、いつの間にかニコニコと細められるようになっていった。

 仲が深まると、はヒマナッツを連れていろいろな所へ遊びに出かけた。近所の公園に始まり、カフェやレストラン、水族館に博物館、山や海。手足を持たないヒマナッツは跳ねるだけでは移動が不便だろうと、いつもに抱っこされていた。の方が背が高い分、抱っこされるとヒマナッツの見える景色が変わる。そうすると、たとえ同じ場所でもなんだか違って感じるのだ。それに腕の中はあたたかくて安心する。だからヒマナッツはに抱っこされるのが大好きだった。

 出会ってから初めて共に迎えた夏。
 家族旅行に出かけたたちが立ち寄ったのが、ひまわりの丘だった。名前の由来にもなっている、見頃を迎えたひまわり畑は圧巻の一言だ。ヒマナッツも抱っこされながら、見渡す限りひまわりで埋め尽くされた景色に心を奪われた。もしや地平線の向こうまで、ずっと咲いているのでは? ヒマナッツがじっと目を凝らしてみても、当然ながら果ては見えない。
 いつも元気なヒマナッツが静かになってしまうくらい見惚れていることに気づいたが、にっこり笑う。

「綺麗だよね、ひまわり」

 ヒマナッツもこくこくと頷く。黄色の花弁をいくつも重ねたその花はよりも背丈が大きく、皆一様に太陽の浮かぶ方向を向いていた。ヒマナッツもそれを真似して太陽を見上げてみたが、眩しさのあまりすぐに目を閉じてしまった。
 はヒマナッツを抱っこしたまま、ひまわり畑の中を歩き出した。ヒマナッツは落ち着きなくきょろきょろしてひまわりを眺め、楽しそうに身体を揺らす。

「ふふ、気に入ってくれた?」

 いつになくご機嫌なヒマナッツの様子にもつられたのか、嬉しそうだ。ふたりは両親をそっちのけでひまわり畑を巡った。
 このひまわり畑で一番背が高いもの、低いものを探して回ったり。仲良く寄り添っているのを見つけて、なんだか私たちみたいだねと笑ったり。枯れてしまった花を見つけた時には揃ってしゅんとしてしまったが、その周りに小さな芽が出ていることに気がついて、目を輝かせながら顔を見合わせたりもした。

「あっ、こんなところにいた。、ヒマナッツ!」

 聞き慣れた声に呼ばれてふたりが振り向くと、のパパが額の汗を拭いながらこちらへ駆けて来る。すっかり両親の存在を忘れていたから知らず知らずのうちにはぐれていたらしい。の姿がひまわりに埋もれて、さぞ探しにくかったことだろう。

「パパ、どうしたの?」

「もうお昼だし、そろそろご飯を食べに行こうかってママと話してたんだ」

「えー! あと少しだけ……」

「気持ちは分かるけど、もヒマナッツも暑いだろう? 熱中症になったら大変だ」

 汗が伝うの頬をハンカチで拭いてやりながらパパは諭した。たしかにここは屋根がないので、ふたりは直射日光に晒され続けている。駆け回って喉も渇いてきたところだから、パパの言う通り熱中症になる前に移動するべきだ。対するヒマナッツは太陽の光が大好きなので、まだまだいけますよと思っていたけれど。
 後ろ髪を引かれる思いでが頷くと、パパが頭を撫でてくれた。なにも意地悪で言っているわけではなく、むしろふたりが大切だからこそ窘めているのだ。もそれを理解しているから膨れっ面にはならない。その代わり、残念そうにしているヒマナッツをよしよしと撫でた。

「また一緒に来ようね、絶対。……そうだ、大きくなったら私があなたを連れて来てあげるよ!」

 頭の葉っぱまでしょぼんと項垂れていたヒマナッツは、の言葉に笑顔を取り戻した。この場所を離れなければいけないのは寂しいけれど、いつかもう一度が連れて来てくれるのなら。
 ヒマナッツはの腕の中から振り向き、遠ざかっていくひまわりたちを名残惜しそうに目で追っていた。


◇◇◇


 ええ、もちろん憶えていますとも。
 キマワリはえへんと胸を張った。そんな自信満々な反応には「よかった」とはにかんだ。
 ヒマナッツはこの数年でキマワリへと進化したので、今はと繋ぐ手も一緒に歩ける足もある。進化してからもとキマワリはたくさんの場所へ遊びに出かけたけれど、ひまわりの丘で見た景色はいつだってキマワリの特別だ。しかし不思議なことに、なぜひまわりの丘を特別に思うのかキマワリ自身にも説明がつかなかった。
 ひまわりの丘よりも楽しい場所や綺麗な場所もあった。遊園地でジェットコースターに乗ったら吹き飛ばされそうになって、ふたりで大笑いした。服を着させてもらっても震えてしまうくらい寒い土地へ見に行った、氷で作られたお城は幻想的だった。他にもたくさんとの思い出はある。けれどやっぱり、キマワリが何度考えてみても特別なのはひまわりの丘なのだ。
 ——初めてと将来の約束を交わしたから? それとも、太陽を見つめる花たちが気に入ったから?
 キマワリが燦々と輝く太陽と見つめ合いながら考えていると、が再び口を開く。

「大きくなったら連れて来るって約束、ようやく果たせて嬉しいよ」

 ヒマナッツがキマワリへ進化したのと同様、もあの頃より心身ともに成長した。もう保護者同伴でなくたってどこへでも行ける。今日ひまわりの丘を訪れたのもふたりだけだ。
 やわらかな風が吹き抜けて、は繋いでいない方の手で髪を押さえる。ひまわりたちも風に揺られて同じ方向へと傾いていた。

「ねえ、あの時みたいに探検しよっか」

 ただ眺めているだけでは勿体ない。の提案にキマワリは「キィ!」と鳴いて賛成した。手を繋いだまま、ひまわり畑へと足を踏み入れる。手入れの行き届いたひまわりたちは花弁の黄色が目に鮮やかで、ぴんと背筋を伸ばしたような姿が愛らしい。
 人やポケモンと同じく、植物にも個性がある。背の高さや大きさ、向いている方角に色の濃淡……。
 あの時もこうしてひまわりを観察して回った。思い出をなぞるようでいて、けれどどこか新鮮な気分でもある。

「わ! キマワリ、見て見て」

 の指が示す先には、一際大きなひまわりが咲いていた。花の部分はもちろん背丈も抜きん出ている。大体のひまわりはの胸元までの高さであるのに対し、その花は顔のあたりにまで及んでいる。となれば当然、キマワリの倍以上はあるのだろう。
 うーん、うーん……よく見えません!
 キマワリが背伸びをしていると、「あっ、気が利かなくてごめんね」と言いながらが抱き上げてくれた。ようやくキマワリが目にした大輪のひまわりは、圧倒されるほどに美しい。隙間なく放射状に生えた舌状花と、歪みのない円を描く管状花。花が大きければ重さも増えるだろうに、茎がしっかりと支えているおかげで俯くこともなく、まっすぐ前を向いている。

「月並みな表現になっちゃうけど、綺麗だよね」

 がうっとりと呟いた言葉に、キマワリもうんうんと頷く。無数のひまわりの中で最も立派なのはこの花であると、誰もが口を揃えて言うだろう。そんな花を一番美しい時期に見ることができたのは運が良い。
 素敵ですね! ワタシ、このひまわりが好きです。
 キマワリがニコニコ顔でに言うと、なんとなく伝わったようだった。

「このひまわりが好き?」

 キマワリは元気よく「キマー!」と返事をした。そんな無邪気な姿には優しく目を細める。
 はどのひまわりが好きなんでしょう? ワタシと一緒でこの花でしょうか。
 キマワリがそう考えていると、ははじけるような笑顔を浮かべた。

「そっかあ。私はねー……このひまわりが一番好き!」

 ぎゅっと抱きしめられ、キマワリはキャッキャッと笑い声を上げる。
 わあ、ワタシですか? なんだか照れちゃいますね。キマワリは腕をの首元に回して抱きしめ返し、頬と頬を寄せ合う。太陽の熱が移ったの頬はひだまりのようにあたたかい。すぐ近くで「ふふふ」とキマワリ同様少し照れくさそうな笑い声が聞こえる。
 ああ、そうか。キマワリはようやく気がついた。ひまわりの丘が特別な理由。それはきっと、の笑顔がひまわりに似ているから。
 ぱっと周りに明かりが灯るように眩しい、キマワリに元気をくれる笑顔。「うちの子になりなよ!」とスカウトされた時、「これおいしいんだって!」ときのみやおやつを持ってきてくれた時。いつもひまわりみたいに笑って、警戒心で頑なだったヒマナッツの心をほぐしてくれた。だからきっと、に似たひまわりのことも好きになったのだ。

 ひまわりも、ひまわりみたいな笑顔のも大好きです。だから、この場所はワタシにとって特別なんですね。
 キマワリはの肩越しにひまわり畑を見遣る。熱い頬を冷ましてくれる風が通り抜けると、ひまわりたちが頷くように頭をもたげて揺れた。


ひだまりの頬
20230924

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