夢で逢いたい、夢でいたい
「私のことはどうか忘れてください。さようなら、お元気で」

「…ビミョーですわね」

 あこちゃんは台本から顔を上げて、溜息を吐いた。私は組んでいた指を解き、床へ座り込んだ。あこちゃんからの駄目出しはこれで何回目になるだろう。おそらく、両の手と足の指を合わせても足りないぐらいだ。
 私は劇組の幹部生なのに。そんな風に己を責める気持ちと共に何度も繰り返してみても、どうもしっくり来ない。いわゆるスランプというものか。けれどもスランプだから仕方ない、では済まされない。こんな演技では来週の撮影でも監督からリテイクを何べんも食らって、共演者やスタッフさんへ迷惑をかけてしまう。しっかりしなければと、胸の中は焦れるばかり。

「いったいどうしてしまったんですの? らしくない」

「……どうしてだろうね」

「こんなんじゃ、ハリウッドのツバサ先輩も心配してしまいますわ」

 ツバサ先輩。
 その名前を聞いた途端に、心臓がぎゅっと強い痛みを覚えた。
 高等部に進学し、ハリウッドへ単身渡米したツバサ先輩の活躍は日本まで届いている。劇組の誇り。厳しくも、誰よりも優しい。私の大好きな先輩。
 今の私を見たらツバサ先輩はなんて言うのかな。気が緩んでいる、しっかりしろと叱るだろうか。それとも、何かあったのか話してごらん、と頭を撫でてくれるだろうか。

「ほら、もう一回ですわよ」

「うん」

 瞼を閉じて、深呼吸をする。これは役に入り込む時のルーティンみたいなものだ。息を吐くのと同時に頭の中を空っぽにして、みょうじを消す。だけど今は何故だか色々な気持ちがこんがらがっていて、整理もつかなければ役になりきることもできない。
 この台詞はツバサ先輩を思い出させる。ツバサ先輩は私の一番の憧れで、目標だ。入学したばかりの頃、全然駄目だった私はよくお説教されていたけれど。それでも、お説教のあとに必ずフォローしてくれるところだとか、心から私たちのことを考えて叱ってくれていることが分かる言葉だとか。アイドルとしてのツバサ先輩だけでなく、ただの一生徒としても憧れていた。
 それなのに、ハリウッドへ飛ぶと聞いた時にはツバサ先輩の実力が本場で認められたのだと喜ぶより、私の知らない場所へ行ってしまうという悲しみが勝っていて。どうしてこんな気持ちになるのだろうと考えているうちに、ツバサ先輩はハリウッドへ発ってしまった。別れの言葉なんて交わす時間もなかった。
 その時ようやく、私とツバサ先輩を繋ぐものなんてもうどこにもないのだと気がついたのだ。もともと単なる先輩と後輩の関係。ツバサ先輩が私にだけ別れの挨拶をしに来るわけが、無いじゃないか。それでも私はできることならツバサ先輩の心に寄り添っていたかった。なんて、思い上がりも甚だしいから、口にするつもりは無いけれど。
 こんなこと、考えている暇はないのに。喉が震えるのを抑えて、何度も繰り返した台詞を唇に乗せた。

「私のことはどうか忘れてください。さようなら、……」



 台詞の途中であこちゃんが私の名前を呼んだ。どうしたのだろう、さっきまでは演技に問題があっても台詞が終わるまでは聞いてくれたのに。ふと視線を上げれば、戸惑ったような表情のあこちゃんがいた。ああ、あこちゃんがこんな顔をしているのって久々に見た気がする。
 どうしたのと訊ねるより先に、あこちゃんが言葉を続ける。

「泣いているんですの?」

 私が泣いている?
 そっと自分の頬に触れると、確かに濡れていた。淡いピンクのジャージにも点々と染みができている。その時ようやく理解した。
 そっか。私ツバサ先輩がいなくて寂しいんだ。だからこんなにも、役に自分を重ね合わせて悲哀を誘われている。

「あこちゃん。私、駄目みたい」

 溢れる涙が止まらない。その霞む視界の向こう側にさえツバサ先輩を探してしまっている。
 一緒に羽ばたこう、そう言って差し伸べられた手を確かに取ったはずなのに。貴方がいなければ私は翼を広げることさえできない。

夢で逢いたい、夢でいたい
20171227