アマルスと初めてのおやつ

アマルスと初めてのおやつ

 コウジンタウンにあるカセキ研究所の一室にて、化石だったアマルスは一億年の眠りから覚めた。頭は重くて身体もまともに動かせない中、自由が利くのは瞳だけ。アマルスの薄氷のように澄んだ虹彩が捉えたのは、自分を興味深そうに覗き込んでいる、見たことの無い生き物だった。それは“ぽけもんとれーなー”の“にんげん”なのだとか。そんなの、アマルスが生きていた一億年前——中世代白亜紀には存在しなかった。
 その“にんげん”はという名前で、アマルスをこの研究所から連れ出してくれるらしい。もしかしたら、仲間たちと会えるのかもしれない。探しに行きたい。アマルスは期待に胸を躍らせた。
 けれど、すっかり様変わりした土地は見たことの無いもので埋め尽くされていて、仲間たちの姿は影も形も無い。アマルスは自分が化石から復元されたことを知らないし、理解していなかったので、世界にひとりぼっちになってしまったのだとひどく落ち込んだ。そしてそれはあながち間違いとも言えなかった。
 それでも、アマルスはこの世界で生きていくしかない。始めこそ絶望にも似た心地だったけれど、の手持ちのポケモンたちが寄り添ってくれた。だからアマルスは少しずつ前を向いて、まったく知らないものばかりのこの世界を受け入れる準備ができてきたところだ。

「アマルスと食べたいものがあるの」

 ある日そんなことを言い出したに連れられ、アマルスはミアレシティへとやって来た。カセキ研究所のあったコウジンタウンは海に面した静かな街だったけれど、ミアレシティは人々が忙しなく行き交い、背の高い建物とぴかぴか光るものたちで溢れかえっている。の後ろをついていくアマルスは石畳の道を歩きながら、ビルに備え付けられた巨大な液晶に映し出される映像に目を奪われていた。

「あれっ、アマルス? こっちこっち!」

 名を呼ばれて振り向けば、は数メートル離れたところで手を振っていた。いけない、はぐれそうになっちゃった。アマルスは急いでの元へ駆けていく。
 ごめんなさい。しゅんとした表情を浮かべるアマルスの頭を撫でて、は優しく笑った。

「怒ってないよ。見たことないものばっかりで、いろいろ気になっちゃうよね」

 は穏やかで、決して声を荒げたりしない。いつだって慈しみにあふれている。気が遠くなるほど遥か昔、アマルスにもいた生みの親もこんなふうに愛してくれた。だからアマルスはとなら生きていけると思ったのだ。

「このお店に来たかったの。ちょっと並ぶんだけど、大丈夫?」

 青と白を基調とした小さな建物に、数人が列を形成している。何かのお店なのだろうか。アマルスは大丈夫だよと鳴いてのそばに寄った。建物から漂ってくるのだろうか、なんだか香ばしいような良い匂いがする。
 しばらくすると高らかなベルの音と共に「ただいまよりミアレガレットの販売を開始しまーす」と元気な女性の声が響いた。アマルスがきょろきょろしていると、やがて列が動き始める。後ろにいる人にぶつからないようにしなきゃ。

「もうすぐだからね」

 がアマルスの首の後ろを撫でながら言う。わかった、と返事をしてアマルスはにくっつく。手際が良いのか前に並ぶ客たちは早々にはけていった。やがて順番が来ると、は店員に「ミアレガレットふたつください」と告げる。“みあれがれっと”……アマルスの聞いたことの無い単語だ。
 お会計を済ませて店員から何かを受け取ったが「お待たせ」とアマルスに微笑む。それからふたりで手近なベンチに座って、お店のロゴが入った小さな紙袋をさっそく開いた。

「これはね、ミアレシティ名物のミアレガレット! アマルスもきっと気に入ると思うよ」

 はミアレガレットを半分に割って、アマルスの口元へ運んだ。アマルスはすんすんと匂いを嗅いだあと、恐る恐ると頬張った。歯を立てれば焼き目のついた表面が崩されてさくりと音がするけれど、中身は綻ぶようにやわらかい。焼きたてだからこそ、ふんだんに使われたバターの豊かな香りがより際立つ。そのおいしさにアマルスの瞳に星が浮かぶ。オーロラの輝きを宿すヒレも喜びを表すように緑色へと染まった。

「ふふ、よかった。……私ね、もっとアマルスといろんなところへ行って、おいしいものもたくさん食べたいんだ」

 アマルスはもぐもぐしながらを見上げる。ミアレシティだけでも広くて目新しいものばかりなのに、世界のたった一部分に過ぎない。ミアレガレットだってたくさんあるおいしいもののうちの、ひとつなのだ。
 一億年の時を経てアマルスが蘇った世界は、かつての仲間や慣れ親しんだ風景も失われてしまっていた。その代わりに手を引いてくれると、まだ見たことの無い景色にあふれている。最初はそれが受け入れ難くて怖かったけれど、今のアマルスの胸は期待に満ち満ちていた。

 ——ぼくも、とだったらどこにでも行けそうだよ。

 アマルスは甘えた声で鳴いて、の身体に寄り添った。これからアマルスはと共に見聞を広めていくのだ。今日はその一歩目を踏み出した、記念すべき日。
 そんな日にと食べたミアレガレットの味は、旅の終わりを迎えても、もしもアマルスが再び一億年の眠りに就いたとしても、きっと忘れることは無いのだろう。


20231021